散策の会

(2014年版)

      
[第21回 散策の会](新撰組の故郷・日野を巡る)

★2014年9月21日、会員13名は中央線日野駅に集合。山本さんと佐藤さんのオリエンテーションを受けた後、秋色深まる中、ゆったりと散策を開始しました。当初の雨天の予報が晴天に変わり、本当に幸運でした。今回は、新選組関係を中心に立ち寄る施設が多く、先ず駅に近い「井上源三郎資料館」に行きました。井上家は代々八王子千人同心を務め、源三郎は新選組六番隊長として活躍しました。

井上源三郎資料館 五代目子孫井上雅雄館長と一緒に 新撰組横田総司?

★この資料館は、多くの資料が発見された土蔵を改造して平成16年に開設されたものですが、子孫の方の懇切な説明と、多くの資料に感心しました。ただ、公開は第一と第三の日曜に限られ、今回の散策の日取りも、これに合わせて設定したのでした。

★次に行ったのが「八坂神社」です。ここは、明治2年から日野宿の鎮守となっており、剣士たちが奉納した「天然理心流奉納額」がありますが、公開は例大祭の時に限られ、見られなかったのが残念でした。

八坂神社 八坂神社天然理心流奉納額写し 八坂神社奉納試合

★次にほど近い「宝泉寺」です。ここは臨済宗建長寺派の禅寺で、創立は1300年頃といわれますが、現在の本堂は平成13年に再建されたものです。広大な境内の奥に、井上源三郎の墓がありました。

宝泉寺井上源三郎記念碑

★そこから趣きのある「日野用水」に沿って進みますと「大昌寺」です。ここは知恩院末寺で、1602年の創建。素晴らしい寺でした。ここには、新選組最大の支持者である佐藤彦五郎と妻ノブ(土方歳三の実姉)の墓があり、しみじみとした気分になりました。

日野用水 大昌寺の鐘楼 大昌寺境内

★ここからしばらく急坂を登って行きますと「新選組ふるさと資料館」です。ここは日野市立で、時折企画展が開催されますが、丁度何もない時期で残念でした。しかし、新選組関係の資料は豊富で、結構楽しみました。

新撰組故郷資料館内

★坂を降ってしばらく行きますと「日野宿本陣」です。門構えが素晴らしく、都内に唯一残された江戸時代の本陣建物です。日野宿の問屋と名主を務めていた佐藤彦五郎が、自宅兼本陣として1864年から使用していました。道場には、新選組の同志たちが顔を揃えていたようです。建物は、火災等もあり当初のものとかなり異なっているようですが、各部屋の構造・造作等の全容が大変勉強になりました。案内人の説明も親切でした。

日野宿本陣 日野宿高札跡 本陣内解説
本陣内部 本陣内鎧兜 本陣内兎の釘隠し

★ここからしばらく歩き、モノレールの甲州街道駅から万願寺駅まで行き、「土方歳三資料館」です。ここには土方家の末裔が住んでおり、第一・第三日曜の午後のみ公開されますが、時間オーバーで既に閉館しており、本当に残念でした。ここには、歳三の愛刀である和泉守兼定(市文化財)、直筆書簡、句集、鎖帷子、家業の石田散薬、木刀等、狭いながらも見どころが多いようです。門外から土方の像だけが見られました。

土方歳三資料館 土方歳三資料館の前で 資料館内の土方歳三像

★次に、しばらく歩くと「石田寺(せきでんじ)」です。ここは真言宗の寺で、日野七福神の福禄寿があります。南北朝時代の創建といわれます。樹齢400年という天然記念物「カヤの木」があり、隣り合って十一面観音を祀った観音堂がありました。墓地の方に行きますと、歳三の実兄の曾孫が昭和43年に建立した「土方歳三義豊の碑」と「歳三墓所」がありました。ただ、土方家の菩提寺は高幡不動であり、位牌も同寺の不動堂にあります。なお、この付近には土方姓の家が多くみられました。

石田寺 石田寺樹齢400年のカヤの樹 石田寺土方歳三の墓所

★ここから万願寺駅に戻り、「高幡不動尊」に行く予定でしたが、既に時間的に無理のため断念し、本当に残念でした。ここは正式には、「高幡山明王院金剛寺」といい、真言宗智山派別格本山で、関東屈指の古寺です。

★そして、土方家は檀家頭格の家柄と言われます。奈良時代に行基菩薩によって創建されたそうで、平安時代には慈覚大師円仁が不動明王を安置しています。その後嵐によって堂宇が倒壊し、1342年に再建されたのが現在の「不動堂」です。仁王門とともに国指定重要文化財に指定されています。

★不動堂の裏手に「奥殿」があります。ここには、丈六不動三尊(重文)が安置されているほか、書簡、旗、木刀、覚書等、新選組関係の多数の資料が展示されており、大変貴重です。一番奥まったところに「大日堂」があります。堂内には、「鳴り龍」と平安時代造立の大日如来や「土方歳三の位牌」が納められています。

★寺の入口近くには、「殉節両雄の碑」がありますが、板橋では明治9年に建立されたのに、日野ではなかなか許可されず、明治21年になってやっと建立されました。文章は、元会津藩主の松平容保だそうです。

★なお、昭和55年に建立された「五重塔」は、鉄筋コンクリート造りながら堂々たるもので、適当な古色がついて風格があり、形も美しく、大変目立ちます。秋の紅葉と初夏の紫陽花の頃は、観光客で大変混雑するところです。いずれにしても、このような素晴らしい寺を省略したのは本当に残念でした。これで本日の散策は終わり、モノレールで立川南口に戻り解散しました。その後有志によって「土間土間 立川南店」で懇親会を実施し、大変盛り上がりました。

★今回の散策は、新選組関連の施設を網羅する大変欲張ったもので、時間の関係で一部省略せざるを得なかったのは残念でしたが、皆元気に歩き切りました。山本さんの各所での解説と佐藤俊雄さんの資料は相変わらず冴えており、好評でした。今後も、楽しい無理のない散策を企画したいと思います。(報告:滝沢公夫 写真:荒木彌榮子・国友康邦・山本 浩)

[参加者] 荒木彌榮子・伊藤 徹・小平道彦・梶川 允・国友康邦・佐藤俊雄・滝沢公夫・野村吉宏・馬場正彦・堀田耕也・堀田夫人・山本 浩・横田康平


[第20回 散策の会](板橋界隈を巡る)

★2014年5月17日、会員18名は東上線下赤塚駅に集合。初夏の日差しの中、ゆったりと散策を開始しました。何の変哲もない赤塚商店街や住宅地を15分ほど歩くと、堂々たる松月院です。「松月院」は、曹洞宗の寺ですが、房総の武将・千葉自胤が、康正2年(1456)市川からこの地に移り、従来からあった宝持寺を菩提寺として、松月院と改名したものといわれます。江戸時代には、家康に認められて朱印地を与えられ、発展したもののようです。

★更に幕末には、砲術家・高島秋帆が近隣の徳丸ケ原(現在の高島平)で砲術訓練をした際に、ここに本陣が置かれたといわれます。また明治時代には、旧赤塚村役場がここに置かれました。現在、「板橋十景」の一つとなっており、境内は広大。江戸で最古といわれる鐘楼や、よくわからなかったものの千葉自胤の墓・下村湖人の墓・高島秋帆顕彰碑・新東京八名勝記念石碑等の見どころも多く、大寺の風格を持っています。

下赤塚駅集合 松月院門前 山門
本殿 江戸最古の鐘楼 高島秋帆顕彰碑

★ここからほど近いところに「乗蓮寺」があります。浄土宗の寺で、「東京大仏」が有名です。応永年間(1394-1427)に、了賢無的が山中村(現板橋区仲町)で布教のために創建したものといわれます。その後、江戸時代初期には仲宿に移転しました。郷主・板橋氏の菩提寺でしたが、天正19年(1591)家康から朱印地を与えられ、格式ある寺院になったもののようです。八代将軍・吉宗の鷹狩の休憩地にもなりました。 その後も長く仲宿の地にありましたが、昭和48年に首都高速の建設と国道17号の拡幅のために、現在の赤塚城二の丸跡に移転したものです。

★先ず素晴らしい仁王門から入ります。昭和52年には、関東大震災や東京大空襲の惨禍を繰り返さない思いから、「東京大仏」が建立されました。大仏は青銅製の坐像で、奈良・鎌倉の大仏に次いで3番目の規模であり、本当に堂々たるものです。高さは地上12.5メートルもあります。境内は大変広大で見どころが多く、天保飢饉犠牲者を供養する石仏群や供養塔、藤堂家の各種石仏群等もあり、更に墓地には探検家・植村直巳の新しい墓もありました。また、近くには、西村西望作の仏像を収める新しい多宝塔もありました。本当に書き尽くせない内容を持つ寺でした。

乗蓮寺門前 仁王門前で山本さんの解説 多宝塔 大飢饉供養石仏群
東京大仏の前で記念写真
石仏 石仏 石仏 石仏 がまんの鬼 植村直己墓所

★続いて、近くの「不動の滝」に行きましたが、大山詣でや富士山詣での際に民衆が訪れたという不動の滝は、流れは僅少でしたが雰囲気は感じられました。また、「板橋区立美術館」は最近改築したばかりですが、通常展示のみのため、見学は省略しました。その裏手の急坂を登ると「赤塚城本丸址」ですが、遺構が全く現存しませんのと道が険しいため、これも省略しました。

★城址は都立赤塚公園の一部として整備されています。赤塚城は、康生2年(1456)に市川から移った千葉氏によって築城され、後北条氏の有力な家臣として活躍しました。しかし、天正18年(1590)の秀吉による小田原攻めで後北条氏は滅亡し、千葉氏の所領は没収され、赤塚城は廃止されています。現在は、城址として板橋区史跡になっており、石碑のみがあります。

★北側は「徳丸ケ原」という湿地帯でしたが、現在は住宅地になっています。また、城址下の「赤塚溜池公園」は内堀であったとのことですが、現在は釣堀になっています。隣接して歴史のある「郷土資料館」がありますが、時間の関係で省略しました。ただ、資料館の前に展示してある、もと板橋宿にあったという遊郭「新藤楼玄関」は、本当に素晴らしいものでした。

左不動・中不動の滝 不動の滝全景 赤塚城への道
赤塚城内堀跡の公園釣堀 新藤楼玄関 新藤楼玄関屋根家紋

★ここから15分ほど歩くと都営三田線の西高島平駅です。板橋本町で下車して、いよいよ「板橋宿」です。板橋宿は、中山道六十九次のうち日本橋から数えて一番目の宿場となります。上宿・仲宿・平尾宿の三つの宿場の総称です。長さは約2.2キロ。品川宿、千住宿、内藤新宿と並んで、江戸四宿の一つです。規模としては最下位でしたが、当時の繁栄ぶりは大したものだったとのことです。明治時代に入って中山道の重要性が薄れ、板橋宿も次第に衰退していったといわれます。戦後は全体に一層衰退し、現在では、特に平尾宿では、宿場の趣きをあまり残していないのが残念でした。

★上宿の中央近くに「縁切り榎」があります。もともと大木だったそうですが、現在は三代目の若木です。その木の下を通ると不縁になるという不吉な木でしたが、自らは離縁できなかった封建時代の女性にとっては、救いの木として一定の信仰があったといわれます。皇女和宮が徳川に降嫁した時は、この場所を避けて通ったそうです。

★更に進んで仲宿に入りますと、石神井川にかかった「板橋」があります。平安時代から木橋として存在しましたが、江戸時代には太鼓橋になり、昭和7年にはコンクリート橋になりました。現在のものは、昭和47年に完成し、板橋十景の一つとなっており、しみじみとした趣きを感じました。

道路標識 旧中山道を歩く 中山道板橋宿
縁切り榎 板橋十景を楽しむ 火の見櫓
仲宿辺り コンクリートになった板橋 日本橋からの距離

★仲宿をしばらく散策し、板橋区役所前駅で三田線に乗車。新板橋駅で下車しました。「近藤勇の墓」は、埼京線の板橋駅東口前にありました。新選組局長・近藤勇は、下総・流山で捕えられ、総督府が置かれた板橋宿近くの刑場で処刑されました。首は京・三条河原で晒されましたが、その後の遺体の行方については、会津若松の天寧寺、東本願寺、岡崎市の法蔵寺、米沢の高国寺、故郷の三鷹の龍源寺等に葬られたという説がありますが、はっきりしません。板橋駅前にある墓所は、旧新選組同志で長生きした、永倉新八によって板橋刑場近くに建立されたものといわれます。ささやかな墓所ですが、幕末の志士たちの活動の姿が偲ばれ、しみじみとした気持ちになりました。土方歳三や永倉新八の墓、近藤勇像もありました。ただ、板橋刑場跡は商店街になっており、場所も分からなくなっています。

近藤勇像 近藤勇が埋葬された場所 近藤勇の墓 近藤勇・土方歳三の墓標 永倉新八の墓

★これで今回の散策は終わり、板橋駅前の「土間土間 板橋店」で有志による懇親会を実施し、大変盛り上がりました。今回の散策は、板橋の二つの地域を制覇する欲張ったものでしたが、地下鉄も十分利用し、暑さの中皆さん元気に歩きました。例によって山本さんの解説と、佐藤さんの独特の資料も冴えていました。今後も楽しい散策を企画したいと思います。
                                                          (報告:滝沢公夫 写真:荒木彌榮子・山本 浩)

[参加者]荒木彌榮子・伊藤 徹・大野照蔵・梶川 允・栗原政博・小山雄一・佐藤俊雄・志村智雄・滝沢公夫・竹内吉夫・土井洪二・中村泰三野村吉宏・堀田耕也・堀田夫人・山本 浩・山本夫人・横田康平


[第19回 散策の会](雑司ヶ谷・護国寺界隈を巡る)

2014年3月22日、会員18名は早大大隈講堂前に集合。増築工事が進むキャンパスで、しばし懐かしい雰囲気に浸りました。やがて、例年より遅れながらも春めいた陽気の中、ゆったりと都電荒川線の早稲田駅に向かって歩きだしました。そして懐かしい車両に乗り込み、3駅だけの短い乗車を楽しんだのでした。

早大大熊講堂前集合 都電荒川線早稲田駅

★鬼子母神前駅で下車、まず向かったのは「鬼子母神」(法明寺)です。ここの参道にある多くの欅の木は、大変な年月を経ていて巨大であり、中には、枝が建物の屋根の上を乗り越えているものもあり、本当に素晴らしいものでした。やがて「鬼子母神」に到着。ここの本堂は寛文4年(1664)の創建で、豊島区内最古の建築物といわれ、権現造りの堂々たるものでした。また、樹齢600年といわれる「子育て銀杏」は天然記念物に指定されているだけあって、圧倒されました。

鬼子母神樹齢600年
子育て銀杏
鬼子母神本殿 角の無い鬼子母神扁額

★寺域はゆったりとしていて、稲荷神社や大黒堂等もあり、雑司ヶ谷七福神のひとつ大黒天も祀られています。ただ、先般の大雪のため大木が折れて、下の石造の灯篭が破損しているのは痛々しいものでした。

稲荷神社 鬼子母神本殿前 大黒天 鬼子母神境内

★鬼子母神は、次々に人の子を食べてしまう女でしたが、自分の子供を失ったことで、子を失う親の苦しみを悟って仏法に帰依したといわれます。そして彼女は仏法の守護神となり、子授け・安産・子育ての神として祀られるようになりました。

★日蓮宗では、法華経において鬼子母神が法華信仰者の擁護を誓っていることから、法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ねています。その像は天女のような姿をし、子供を一人抱き、右手に柘榴(吉祥果)を持っています。江戸三大鬼子母神としては、ここのほか入谷鬼子母神、市川市の法華経寺塔頭鬼子母神があります。ここ雑司ヶ谷では、頭に角が生えていないため、「鬼」の字の上の角が除去されている字が正しいものです。

★ここからだらだら坂を下りていきますと、「大鳥神社」があります。ここはもとは鬼子母神の境内にありましたが、明治の神仏分離で現在地に移転したもので、なかなか立派な神社です。

大鳥神社 都電踏切を渡って 雑司ヶ谷霊園

★更に都電の踏切を超えて、わかりにくい道を行きますと、「雑司ヶ谷霊園」に入っていきます。ここは東京会議所により明治7年に開設されましたが、明治22年に東京市の管轄となりました。現在は東京都公園協会が管理しています。大変広大で、著名人の墓がとても多いです。漱石の「こころ」の舞台にもなっています。墓はあまりにも多く、永井荷風・泉鏡花・荻野吟子・サトウハチロー・島村抱月・竹久夢二・夏目漱石・ジョン万次郎・東郷青児等のみを見て回りました。それぞれに特色・大小があり、感銘深いものがありました。

ジョン万次郎 永井荷風 荻野吟子
夏目漱石 泉鏡花 竹久夢二
島村抱月 東郷青児 サトウハチロー

★次に「雑司ヶ谷旧宣教師館」に行きました。ここはアメリカ人宣教師マッケーレブが、明治40年から昭和16年まで居住していた、豊島区では最古の木造洋風住宅です。平成11年に都指定有形文化財になりました。当日は生憎休館日でしたが、外観からも、19世紀アメリカの郊外住宅の趣を持っています。内部のマントルピースや天井が見どころとのことですが、見られず大変残念でした。

雑司ヶ谷旧宣教師館 雑司ヶ谷旧宣教師館

★ここからしばらく迷路を歩いて「清土鬼子母神堂」です。ここは、永禄4年(1561)雑司ヶ谷の鬼子母神像が、山村丹右衛門により掘り出された場所といわれています。像を洗ったという三角井戸のほか特に見るべきものはありませんが、雑司ヶ谷七福神のうち吉祥天が祀られています。

清土鬼子母神堂 鬼子母神像を洗った三角井戸

★そして、いよいよほど近いところにある「護国寺」です。入口の門からして大変素晴らしく、広大な境内からはさすがに巨大な寺であることが理解できます。ここは真言宗豊山派の寺で、天和元年(1681)、徳川綱吉は母桂昌院の願いを受け、高崎の護国寺の住持であった亮賢に、祈願寺護国寺の建立を命じました。本尊は桂昌院念持仏の如意輪観音ですが、絶対秘仏になっています。本堂は元禄4年の建立で、大変豪壮で、重要文化財に指定されています。ここは江戸33観音霊場13番札所でもあります。

護国寺仁王門で山本さんの説明 護国寺多宝塔 護国寺本殿へ向かう 護国寺本殿
護国寺で集合写真

★明治6年から、境内の東半分が豊島岡墓地として皇室墓地となっています。また、重要文化財としては、三井寺から移築された桃山時代の月光殿や絹本着色曼荼羅等があります。なお、このほかに、昭和13年建立の新しい多宝塔がありますが、石山寺のものを模したものといわれ、大変すばらしいものです。

★有名人の墓地としては、大隈重信候・三条実美・山縣有朋・大倉喜八郎等がありますが、特に大隈候のものは最も広大で、鳥居等に「早稲田大学」の文字が刻まれていて大変感動的でした。

三条実美 山形有朋 大隈重信侯 大隈侯墓鳥居
大隈重信侯墓所 大倉喜八郎夫妻墓所

★これで今回の散策は終わり、地下鉄で池袋に出て解散しました。その後希望者のみで「池袋の風」で懇親会を実施しました。

滝沢さんお疲れ様!

★今回の散策は、比較的狭い範囲でしたが、有名人の墓地を参拝できて特色あるものとなりました。特に大隈講堂から出発して大隈候の墓で終わる、ということは感動的でした。山本さんの解説は冴え、佐藤俊雄さんの独特な資料も好評でした。今後も無理のない楽しい散策を企画したいと思います。 (報告:滝沢公夫 写真:荒木彌榮子・国友康邦・山本 浩)

[参加者] 荒木彌榮子・伊藤順蔵・小川浩史・梶川 允・国友康邦・ 栗原政博・古林 繁・佐藤俊雄・佐藤良三・志村智雄・滝沢公夫・中村泰三・野村吉宏・馬場正彦・堀田耕也・村上征徳・山本 浩・横田康平

[第18回 散策の会](亀戸天神・亀戸七福神を巡る)

★2014年1月11日、会員13名は総武線亀戸駅に集合。お互いに新春の挨拶を交しながら、寒いものの快晴の中、清新な気分で散
策を開始しました。既に17回の散策を経ての新年恒例の七福神巡りであり、今年も元気に散策を持続しようと申し合わせました。

★先ず向かったのは、駅から徒歩15分ほどの亀戸天神です。ここは菅原道真と菅原家の祖神を祀り、学問の神様として大変親し
まれています。太鼓橋から眺めるスカイツリーは、本当に素晴らしいものでした。「撫で牛」をお互いに撫でたりしました。

亀戸天神 正門 亀戸天神 本殿へお参り 亀戸天神 心字池と太鼓橋 亀戸天神 本殿

★この天満宮は、正保年間(1644-1647)、道真の末裔である大宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信佑が、天神信仰を広めるため諸
国を巡り、寛文元年(1661)亀戸にたどり着き、元々あつた小祠に道真ゆかりの飛び梅で彫った天神を祀ったのが始まりといわれま
す。

★江戸幕府は、明暦大火の復興事業の地として現在の社地を寄進し、寛文2年(1662)社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋等が大宰
府天満宮に倣い造営されたといいます。古くは東の宰府として「東宰府天満宮」と称されていましたが、明治6年に府社となり、昭和11年に現在の亀戸天神社となったものです。

亀戸天神 菅公の像 亀戸天神 撫で牛 牛を撫でて悪い所を取る

★主な祭事としては、1月の鷽(うそ)替え神事、2-3月の梅祭り、4-5月の藤祭り等があります。また摂末社としては、御岳神社・花園
社・弁天社・紅梅殿・神牛殿・舞殿等があります。境内は広大で、ゆったりと散策が楽しめました。

亀戸天神 鷽替え神事 鷽替え神事 亀戸天神 花園神社 亀戸天神 御岳神社
亀戸天神 本殿・スカイツリー・鳩も一緒に集合写真

★ここから、スカイツリーを眺めながら横十間川の堤を通り、次は「龍眼寺」です。布袋尊が祀られており、天台宗の寺。創立は応永2年(1393)、開山は良博。元禄6年(1693)、13世が境内に萩の木を植え、明和7年(1770)、住持義梅が増殖させてから「萩の寺」と称しており、江戸名所のひとつとなっています。他にも、植物が豊富な寺ですが、萩は刈り取られていました。本堂は八角形の珍しいものです。また、ここの庚申塚は江戸最古のものといわれます。

スカイツリーと横十間川 龍眼寺 正門 龍眼寺 八角の本堂 龍眼寺 布袋様 布袋様にお参り

★次に小路を入り「天祖神社」です。福禄寿が祀られています。ここは推古天皇の時代に建てられ、聖徳太子の神体が祀られたと
いわれています。天正年間(1573-)惡病が流行した時、織田信長が流鏑馬を行ったところ収まったので、病気を治す神社として有名になったといわれます。

天祖神社へ向かう小道 天祖神社 天祖神社 福禄寿 流鏑馬の行われた天祖神社

★ここから迷路を行き、「普門院」です。ここは毘沙門天が祀られています。真言宗の寺で、元和2年(1616)今の荒川区南千住から
移転してきたといわれます。大変に荒れはてた寺の印象ですが、墓地には、純愛小説「野菊の墓」で有名な歌人「伊藤左千夫」の墓があり、しみじみとした感慨を覚えました。

普門院正門 普門院本殿 普門院 伊藤佐千夫の墓

★次に「香取神社」です。ここには恵比寿神と大黒天が祀られています。大変規模の大きい神社でした。創立は、中臣鎌足が東国に来た時といわれ、鎮祭は天智天皇の4年(665)と伝えられて、区内で最も古い神社です。また、平将門の乱のとき、俵藤太秀郷が当社に戦勝を祈り、祈願成就の後、弓矢を奉納し、以後武運長久を祈ることが多くなったといわれます。境内の亀戸大根の石碑も面白いものでした。

香取神社 恵比寿・大黒天 香取神社 亀が井戸 亀戸大根の碑

★続いて、「東覚寺」です。ここには弁財天が祀られています。真言宗の寺で、創立は享禄4年(1531)。開山は玄学といわれます。
本尊は大日如来と阿弥陀如来。明治43年に深川の覚王寺を合併しています。弘法大師の府内88か所の73番札所です。

東覚寺本殿 五色の紐に触れ願い成就 東覚寺 弁財天

★そして、最後の「常光寺」です。寿老人が祀られています。曹洞宗で、行基菩薩作の阿弥陀如来が本尊です。江戸六阿弥陀詣での6番目の札所となっています。本堂は新しいインド様式のものでした。

インド式常光寺本殿 江戸六番目の阿弥陀仏 常光寺寿老人堂 寿老人

★駅に行く道筋に、「亀戸水神」がありました。この地は亀戸で最も古い開拓地で、水害を防止するために大和国から勧請した水神を、室町末期に祀ったものといわれ、小さいながら歴史を感じさせる神社でした。

亀戸水神 亀戸水神

★これで本日の予定は終わり、近くの東武線亀戸水神駅から珍しい東武鉄道亀戸線に乗車、亀戸駅に戻り解散となりました。それから、希望者のみで近くの「土間土間 亀戸店」で懇親会を開催しましたが、各種の飲み物も豊富に出され、大変盛り上がりました。

東武線亀戸水神駅にて 土間土間懇親会

★今回の散策は、比較的コンパクトなものになりましたが、それなりに下町の情緒もあり、各社寺の特色もあって楽しいものでした。例の通り、山本さんの解説と佐藤さんの独特の資料も好評でした。今後も無理のない楽しい企画をしていきたいと思います。
                                                 
(報告:滝沢公夫、写真:荒木彌榮子・山本 浩) 

[参加者]荒木彌榮子・伊藤順蔵・小川浩史・小平道彦・栗原政博・佐藤俊雄・鈴木昭助・滝沢公夫・土井洪二・堀田耕也・同夫人・山本 浩・横田康平


♪BGM:Braga[Angels Serenade]arranged by Pian♪
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