いなほ随想
スペイン旅のアルバム
バルセロナ~バレンシア~ラ・マンチャ地方~セビジャ・コルドバ~マドリッド・コルドバ

国友康邦(38商)

★2012年11月13日から19日までスペインへ行ってきました。気候は東京と同じぐらいの予想だったが、実際は東京より少し暖かでした。 日本との時差は8時間です。

★スペインへの直行便はなく、ツアーはチユ-リッヒ経由でバルセロナに鳶ました。飛行機に乗っている時間は、合算で14時間にもなり、日本からヨーロッパは遠いですね。今回のツアーは、スペインをざっと一回りして、帰りはマドリッドからチユ-リッヒ経由で帰ってきました。

★スペインの人口は4500万人ですが、世界遺産が国内に43もある国です。国民の75%がカトリック。農産物と言えば、どこへ行ってもオリーブ畑ばかり。オリーブの生産量は世界一ですが、失業率23%。特に若手の失業者が多いということです。ただし、物価は安いですね。

★ツアー初日の夕方、バルセロナに到着。ここは 建築家ガウディが手掛けた建設物が沢山ある都市。翌日はゼネストで交通機関も止まるかもしれないというので、空港から建築家ガウディが手掛けた夜のサグラダ・ファミリア(聖家族教会)に直行、見学をしました。予定外のライトアップの教会を見ることができてがラッキーでした。翌日も私たちはゼネストの影響を受けずに完成まで後100年はかかるというサグラダ・ファミリア(聖家族教会)を改めてじっくりと見学しました。

★さらにガウディの手がけたグエンカタールニャ音楽堂、グエン公園にも足を延しました。いずれも世界遺産に指定されています。 

[バルセロナ]
世界遺産 夜のサグラダ・ファミリア サグラダ・ファミリア サグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリア教会内部
サグラダ・ファミリア教会内部 サグラダ・ファミリア教会内部
グエンカタールニャ音楽堂  グエンカタールニャ音楽堂 
グエン公園 グエン公園

[バレンシア&ラ・マンチャ地方]
★パレンシアの都市の風景とラ・マンチャ地方(ドンンキホーテの舞台)です。

中央市場 店の風景 肉屋  スペインは生ハムが有名
店の風景 店の風景
店の風景 果物屋 店の風景
通行人 新幹線
ラ・マンチャ地方 ドンンキホーテの舞台のあったところ ラ・マンチャ地方 ドンンキホーテの舞台のあったところ

[アルハンブラ宮殿]
世界遺産のアルハンバラ宮殿です。イスラム芸術の最高傑作といわれています。

アルハンバラ宮殿 宮殿の中
宮殿の中の補修作業
アルハンバラ宮殿 中庭
温暖の街、避暑地ミハス
街の風景
街の風景 観光客を待つ店の人
店の人 街の風景

[セビリア]

★セビジャの街 (セビリア)は、人口70万のスペイン第4の都市で、闘牛、フラメンコの本場です。

スペイン広場 スペイン広場
スペイン広場 スペイン広場
コロンブスのレリーフ ユダヤ小路
世界遺産大聖堂(カテドラル)。コロンブスの廟ある。

[コルドバ]

★世界遺産コルドバは、紀元前2世紀、ローマ帝国の植民地から発展、11世紀まで栄華を極めた古都です。
世界遺産 メスキータ (スペイイン語でイスラム教寺院)
イスラム教とカトリックの教、2つの共存する珍しい教会建物
地元の人たち
観光客 旧ユダヤ人街(花の小路)
メスキータ(イスラム教寺院)の内部 メスキータ(イスラム教寺院)の内部

[マドリッド]

★スペインの首都マドリッドでは、ヨロッパ3大美術館のプラド美術館も見学しました。ベラスケス、ゴヤ、グレコの名作多く展示しています。

ドンキホーテ像 マドリッド市内風景

[トレド]
★世界遺産トレドは16世紀まで首都でした。紀元前2世紀にローマに征服されて以降、キリスト、ユダヤ、イスラム教が混在する独自の文化がある街。 宗教画家グレコが半生を過ごしたことでも有名です。

街の風景 街の風景
街の風景 街の風景
街の風景 大聖堂
グレコの絵 大聖堂
ユダヤ人街のしるし(ダビテの星) マドリッドのレストラン 生ハム
マドリッドのレストラン 生ハム マドリッド空港より帰国


[会員の皆さんからのレスポンス]

スペインの旅余聞

小川浩史

★国友さんのスペイン、なつかしく拝見しました。若干の感想です。

★さすが日本人のツアー、いいところ全て廻っていますね。ただ、夜の撮影はないようですが、ジプシー部落にいき、妖艶なジプシーダンスの撮影は、無理でしょうね。これが素晴らしいのですが。

◆経済先進国になれないスペイン人気質

★昔を思い出すと、マラガの空港で、小生の通関を担当官が止めるので何故にと思いましたが、どうも穴の開いた日本円の五円玉が目的のようで、それが欲しくて止められたようで、ふざけるなと思いました。小生、イギリス滞在中で日本の通過は保有していなかったので、その旨説明したら「早く前へ進め」と。いかにもスペイン人らしい勤務態度でした。これだから経済の先進国になれないと思いました。

マラガ空港(パブロ・ルイス・ピカソ国際空港)
wikipediaより転借

★国友さんの写真で新幹線が走っていましたが、あるいは日本製では。昔は日本の銀行団の融資で高速道路を作りましたが、かつては先進国であった国も油断すれば、後進国入りですね。EUで問題児になっているのは、判る感じがします。

★昔、家族でスペインからアフリカ、モロッコに船で正月に渡ろうとしたところ日本人の観光客団に出会い、こんなところまで日本人観光客が来ているとはと、大変驚きました。

★スペイン人は大変好日でかつ人がよく、昔長男の高校受験で家内と息子が帰国している時に、長女、次男と三人でスペインに遊びにいった時の話ですが、子供をホテルに残し、コスタ・デ・ソルの海岸沿いのバーに飲みに行った時の話です。

★当日は「コロンブスDAY」とのことで、休日でしたので、祝意を表し、その飲み屋の現地人のお客におごり、楽しく飲みすぎて、宿泊ホテルが判らなくなり困ったところ、おごった甲斐あってか、パトカーを呼び、そのパトがホテルを探し出し事なきを得たことがあります。

★勿論、不在の家内に知れたら大変ですから、子供達には口止めしましたが、結果はどうであったか。


        

★南部は暑い地帯で農業(ぶどう、オリーブ等)と地中海に面した避暑地、イスラム文化の観光地がメイン。ポート、シエリー酒が有名。これに対してバルセロナを中心とするカタロニア地方は経済の中心地で、スペインは自分達のお陰で維持されているとの意識が強く、最近のユーロ危機に際しても独立しようとの話が常に絶えない。

シェリ酒 シェリー酒の貯蔵樽(wikipediaより転借)

★その北に位置するフランス国境に面するバスク地方は、異人種で独立を目指す過激派がいまでも勢力を持っています。日本に布教にきたフランシスコ、ザビエルもここの出身です。

フランシスコ・ザビエル ザビエルが生まれ、育ったザビエル城(wikipediaより転借)
Wikipediaより転借 フランシスコ・ザビエルは地方貴族の5人姉弟の末っ子として生まれた。

★かつて、バスクの電力会社、イベルデエルロ社が原発開発をし、これに日本の金融機関(幹事三井信託銀行)が多額の融資をしましたが、原発反対のバスク過激派から脅迫を受けました。在スペイン日本大使館よりロンドン支店に電話があり、「ロンドンに出向いて攻撃するとの不穏な動きがあり、充分に対策を取る様に」と。そのため支店の裏ドアーを閉鎖した苦い経験があります。

★ジプシーはもともとフン族の末裔で、はるかハンガリー(フンガリア)からイベリア半島南端まで進出した人々である。タンバを叩きながら有名なマラゲ-ニア(マラガの女)を歌いながら踊るジプシー娘は妖しく魅力的です。

★マドリッドやバルセロナ等の都会ではスリの被害が多く要注意です。日本からの観光客は恐らく旅行会社がパスポートなどを管理するので問題は無いと思いますが、かつて出張中に何人かの仲間が、置き引き等の被害を蒙った。イタリア、スペインなどのラテン系はサッカーで判るように、手先、足技が得意な民族です。

★イベリア半島はかつては、イスラムとキリスト教の激戦区で、アルハンブラ宮殿はイスラムの名残です。ひどい時には、お互いの教会、モスクを改装、塗り直しをして、使用した施設が今でも存在しています。

◆思い出される銀行仲間・宿沢広朗君、惜しまれる急逝

★ラグビーの宿沢広朗くん(政経、44年卒)は、1980年当初小生と同じ時期にロンドン支店(彼は住友銀行)勤務で一時、スペイン担当の課長で、よく一緒にスペインに貸し出したものです。スペイン国鉄はRENFEといい、国際金融業界の有名な銘柄でした。この他、カタロニア電力等の名前がなつかしい。

ラガー宿沢(wikipediaより) バンカー宿沢(wikipediaより)

★最近読んだ本、『ザ・ラストバンカー』(西川善文回顧録)でかつて住友の同僚であった宿沢氏のことを、つぎのように述べています。(西川氏は元三井住友の社長、その後日本郵便の社長)もうすこし後の世代の頭取候補として、意中の人物が彼であったこと。債権の投資分野や外国為替などのディーリング業務では異能を発揮し、多い時には銀行の業務純益の半分ぐらいを稼ぎだしたこと。
  

★2006年(平成18年)6月登山中に心筋梗塞を発症し55歳の若さで急逝した。最後となってしまった役職は取締役専務執行役員、コーポレート、アドバイザリー本部長委嘱。大阪本店営業本部長のころから、毎晩、毎晩お客との付き合いがあり、ラグビ-で鍛えた体力を過信したかもしれない。
  

★金曜日の夜遅くに大阪から東京に帰って、翌早朝に起きて始発電車に乗り、大塚駅前支店長時代の登山仲間の車で、赤城山に登り、山頂で倒れた。携帯もなかなか通じなかったが、やっと群馬大学付属病院からヘリが山頂に到着したが間に合わなかった。体力に自信があるとはいえ、どうしてあんなに無理をしたのか、悔しくてならない。

赤城山(wikipediaより転借)

★いかにも西川さんの無念さが伝わってくる文章です。生きていれば久し振りの早稲田出身の大銀行の頭取であったのに。私も未だ残念でならない。人なつこい男で、付き合いも断れきれなかったのかもしれません。



荒木彌榮子

◆人懐っこいスペイン人が大好き

★スペインの写真懐かしく見せて頂きました。テレビの横に、ドンキホーテの水車小屋と、トロ(闘牛の牛)のおもちゃが飾ってあります。昔壊れないように苦労して持って帰ってきました。、ドンキホーテの風車の上階で絵に出てくるようなスペインのおじいさんがご自分で作って売っていた風車です。

ドンキホーテの水車小屋とトロ(闘牛の牛)

★スペイン人は人懐っこくて大好きでした。背も低いし、髪も黒いので、何となく他のヨーロッパより緊張しなかったことを思い出しました。

★そういえば、給料日前になると、まるでお通夜?のようにしゅんとしてしまい、給料日が過ぎると途端に街中が賑やかに明るくなるのだそうです。




佐藤俊雄

★そう言えば、私がスペインに行ったのは平成8年の秋でした。あの頃の数年間は何かに取り憑かれたように、年に3回は海外旅行をしていました。まだ若かったたんでしょうね、きっと。

◆コスタ・デル・ソルから見たアフリカは近くて遠かった

★アルハンブラ宮殿の建つ丘の上から見たすぐ脇のジプシーが住む洞窟住居。イスラム調のエキゾチズムとの対比が奇妙な感覚を覚えたのを思い出しました。ミハスの少し先に行った海岸から、ジブラルタル海峡越しにタンジール(モロッコ)が 肉眼で望遠できた時は、なぜか感慨をおぼえました。よーし!いつかアフリカ大陸へ行ってやろうと。

コスタ・デル・ソルの白い家並み(wikipediaより転借・右も) ジブラルタル海峡(左手前がヨーロッパ大陸、右奥がアフリカ大陸)

★だが、その夢は今日まで実現できずにいます。じつは今月の下旬にエジプト旅行をするつもりで、昨年11月末に旅行代理店に申し込みをしました。しかし、12月中旬にエジプトで新憲法草案に対する国民投票をめぐり、各地でストが頻発しだしたのです。

★旅行代理店に安全情報を相談したところ、どうもおよび腰の説明だったので、泣く泣くそこでキャンセルしました。コスタ・デル・ソルから見たアフリカは近くでしたが、やはり遠いようです。




続・スペインの旅余聞

小川浩史

★佐藤敏雄さんが、スペイン側のジブラルタル(今でも一部英領の筈)よりはるかアフリカのモロッコ、タンジェールの街を望見し、いつかアフリカ大陸に行きたいと書かれたのを読み、30年前の話で恐縮ですが、スペインより船でモロッコに行ったときの話題を少々。

◆余聞はジブラルタル海峡を渡りモロッコへ

★アフリカのモロッコはスペインからは近い距離で、確か船で数時間の距離だったと記憶しています。スペインのアルフエンランスよりモロッコのタンジェールの港間でしたが、当時イギリスの観光ツアーに参加し、アフリカ大
に上陸した時の感慨はいまでもよく覚えています。

★それまで大型カーフェリーで渡ったイギリスのドーバーから北海に出て、ベルギーのオステンデ港(第二次世界大戦で英軍が劇的に無事イギリスに撤退した有名なダンケルクも近い港)とか。イギリス海峡をわたりイギリスのヘイステングからフランスのディエッぺ港までの距離よりも、スペインからのアフリカ大陸は意外に近く、感動しました。

★ロンドンでの銀行業務が多忙で、本当はモロッコのカサブランカに行きたかったのですが、時間がなく残念ながら精々タンジエールの奥地の古い遺跡探訪止まりでした。有名な映画「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンの演技が忘れられませんでしたから。

タンジエール
タンジールは、モロッコ北部にある都市。人口は、約67万人(2004年)。
ジブラルタル海峡
面した港町でスペインやジブラルタルなどから多くの
フェリーが行き来し、国際都市として栄えている。(wikipediaより転借)
ハンフリー・ボガート 映画「カサブランカ」(wikipediaから転借 左右も) イングリット・バーグマン

◆自称モロッコ王国のお抱え画家から絵を購入したが…


★タンジエールではカスバにも行き、騒然、雑然としたカスバの中の商店街には圧倒されました。絨毯が格安でしたが、発送する手段が思いつがず、いまでも残念な思いです。その代わり、ホテルに自称モロッコ王国のお抱え画家だという男が現れ、確か1点50ポンドで何点か持ってきて、その中で赤い色彩のアラブの女性の民族衣装の人物画が気に入りましたが、絵心のある同行した娘の「日本の家にマッチしない」との一言で諦め、風景画にしました。
  

★余談ですが、次の日に同じ人物がホテルに現れ、なんとずうずうしくも昨日50ポンドでといった画を半額でもよいといって売りにきたのには、驚きました。やはり最初から値ぎらなければいけなかったと自覚しました。

ベリーダンス (ジャン・レオン・ジェローム画) タンジェールのカスバで
(小川浩史さん撮影)

★カスバの中で夕食した時に、アラブ女性のべリーダンスも披露されましたが、踊る母親を幕の合間から、ちょろちょろ眺めていた息子が印象的でした。我が家の娘は下を向いていました。




♪BGMはフランシスコ・タレガの名曲「アルハンブラの思い出」♪

フランシスコ・タレガ

★このコーナーに流れているBGMは、スペイン出身の作曲家、ギタリスト、フランシスコ・タレガ(Francisco Tarrega 1852.11.21-1909.12.15.)の名曲「アルハンブラの思い出」です。以下、WIKIPEDIAから引用します。(ホームページ管理人:松谷富彦)

★タレガは《アルハンブラの思い出Recuerdos de la Alhambra》《アラブ風奇想曲 Capricho Árabe》《ムーア人の踊り Danza Mora》などの自作のギター曲のほか、ベートーベンやメンデルスゾーン、ショパンらのピアノ曲をギター用に編曲した。友人のアルベニスのような同時代のスペイン人作曲家と同じく、当時の支配的なロマン派音楽の風潮にスペインの民族音楽の要素を取り込んだ。

★タレガは、有名な旋律の数多い作曲家でもあり、その作品はしばしば広告放送や映画音楽などにも利用されている。上記の作品のほかに、《涙 Lagrima》や《夢》、それぞれ女性名がつけられている《2つのマズルカ》、打楽器的な効果も飛び出す《グラン・ホタ》など。タレガはヴィルトゥオーゾではあったが、作曲家として心酔したショパンに似て、作品においては詩的情緒と超絶技巧の融和を何よりも追究している。タレガと同時代の著名なギター奏者で作曲家のアンヘロ・ヒラルディーノは、タレガの《9つの前奏曲 9 Preludios》について、「凝縮されたかたちで表現された、タレガの最も深みのある楽想」と呼んでいる。




♪BGM:FranciscoTarrega[アルハンブラの思い出]arranged by Pian♪

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