いなほ随想
スペインの旅余聞スペシャル

ヨーロッパ在勤7年半・スペインの思い出

大島二典(44理工)

◆国友康邦さん(38商)の画像レポート「スペイン旅のアルバム」に寄せられた会員のみなさんからのレスポンスを「スペインの旅余聞」としてご紹介してきました。いずれもツーリストとしてのカルチュアショック、楽しい思い出が綴られ、いかにスペインが魅力を持った国かの証と言えるかも知れません。

◆しからば、旅人としてでなく、海外駐在員として彼の地で暮らした日本人にとってのスペイン&スペイン人とは?この際、小平稲門会ホームページに駐在者として見たスペインの思い出を寄稿してもらおうという案が浮かびました。多士済済の小平稲門会のこと、該当者はすぐに見つかりました。海外生活15年の半分をスペイン兼務のヨーロッパで過ごした大島二典さん(44理工)に声をかけた次第です。届いた原稿がまた面白い。ぜひご一読を。

                                                (ホームページ管理人:松谷富彦)


◆まえがき

国友さんのスペイン紀行を皮切りに、小平稲門会会員各位の「スペインの思い出」が ホームページ上で大いに賑わっています。ホームページ管理人の松谷さんから小生にも投稿をとの依頼をいただきました。10年以上も前の古い記憶で、しかも日本人にはあまり馴染みのない所の体験が多いのですが、スペインは小生の思い出の地の一つでありますので、思いつくままに綴ってみました。

◆初めてのスペイン

★スペインへの初めての訪問は1993年にオランダの機械メーカー調査の機会にヨーロッパ各国にある事業所・工場を訪れた時の事でした。
この時は、これが、後の長いヨーロッパ赴任の序章だったとは思いもよりませんでした。

★安い航空チケットを組合わせたせいか、乗り継ぎ時間がやけに長い。バルセロナに早朝に着き、ビルバオへの待ち合わせ時間が半日もあった。1~2時間ならばビールでも飲むかと言う事になるのだが、いかにも長い。同行者と顔を見合わせ取り敢えず観光でもしようかと言う事になりました。

★空港のタクシーターミナルで、運転手と観光案内交渉を試みたが ともかく英語が通じない。「Sightseeing four hours 」程度もダメ、一方こちらのスペイン語は Buenos dias(こんにちは)」レベル。これには参った。粘り強く何人かとコンタクトするうちに 何とかカタコトの英語を話せる運転手が見つかり、サアー観光に行くぞと意気込んだが、実際にどこに行って良いかわからない。全て運転手におまかせと言う事になりました。

★それでも、サグラダ・ファミリア、コロンブスの塔、オリンピック競技場、モンジェイックの丘、大聖堂などめぼしいところは回れたようでした。実際には、後でその時の写真と観光ガイドブックを突き合わせて場所が分かったというレベルで全くの珍道中でした。

                [1993年、初めて行ったスペインの写真から]

コロンブスの塔 サグラダ・ファミリア
オリンピック競技場 モンジェイックの丘からバルセロナを臨む

★又、この旅で忘れられない事件が発生。同行者の一人が、ホテルのレセプションで置き引きに カバンを盗まれました。ほんの十数秒の隙をつかれて、盗られたことは誰も気が付かなかった。 表現は悪いが、まさに芸術的でした。現地赴任者に、安全と水がタダなのは日本だけ、ホテルのチェックイン・アウトの時にはカバンを 必ず両足の間に挟む事とのアドバイスを受けました。これは後のヨーロッパ赴任時にとても役に立ちました。

◆1995年から約7年半はヨーロッパ赴任で各国を渡り歩くことに

★ベルギー赴任時代(ヨーロッパ本社)の2年半はスペイン会社の代表も兼務していたので、月に1度ぐらいの頻度でスペインを訪問していました。
スペインには、3工場と販売会社を持っており、ヨーロッパ会社の主力のひとつでした。
工場は、ビルバオ地区(バスク地区)、サンタンデール地区、ブルゴス地区の3か所に、 又、販売会社はマドリッドにありました。

◆スペイン訪問初期の印象は、スペイン語の音が日本語に良く似ていること

★ 
「J」が「H」音になる(日本のジュンコさんはフンコさんになるとか言って喜んでいた)など
いくつかの例外を除くと、近くで話しているスペイン人の会話を日本人の会話と間違うぐらいでした。音が似ていることに加えて、英語は彼らにとっても第2外国語で、決して完璧ではない。つまり、小生の嫌いなヒアリングのハンディが無い。会議などで英語で100%渡り合えたと言う嬉しい記憶があります。

スペインの夜は遅い

★経度的にはイギリスより西にあるのに、日本との時差は逆にイギリスより1時間少ない8時間。又、夏季は夏時間の採用により更に1時間少なくなります。これで夏季は、暗くなるのが日本の感覚より2時間以上ずれ、緯度が高いこともあり夜は 11時頃まで薄明るいのです。

レストランは夜9時開店で、それまではバール(立ち飲み酒場)で時間をつぶすことになります。バールでは、ハモンイベリコ(スペイン豚の生ハム)とリョウハ(渋みの少ないスペインの 有名な赤ワイン)が絶品。ハモンイベリコは、刺身並みの生物扱いで、職人が良く切れる包丁で、丁寧に手切りしたものが良いとされており、器械切りのもとは明確に区別されていました。高いものは、100gで数千円するものもありました。

★伝統的な、シエスタ(昼寝習慣)もあり、夜10時過ぎでも子供達が広場を駆け回っていました。レストランでの食事は、夜中までかかるのが普通で、スペイン出張が長引くと必ず寝不足状態になるのが常でした。(現在、シエスタは、一般の企業ではあまりやっていない)

バスク地方について

★スペイン北部(ビルバオ地区周辺)と言えば、バスク地方・民族が外せない話題だと思います。身長は余り高くないが、肩幅と胸板の厚さは驚くばかりで、小型ヘラクレスを想像頂ければ良いと思います。バスク人の日本研修では、小生と同じような上背でも作業着は3Lサイズでもダメという感じです。

★丸太切り、岩石持ち上げ、綱引きなど素朴な力比べが、日本のテレビでも紹介された事がありますのでご存知の方も多いと思います。 又、この時、スペイン人と言う紹介に、我々はバスク人であると言って抵抗したというようなエピソードも有ります。

★力自慢に加えて、蛮勇を誇るようなところもあります。ある時、スペイン工場内で事故が発生しました。これは大型のコンベヤベルトをクレーンで 搬送中に振り子のように振れてこれに挟まれてしまうという大事故でした。後に工場長が、公式には言えないが、バスク人は、少し危険でもサーカスをやるように物を上手に操れるのを見せびらかすようなところがあると言ってきました。

★この話で思い出すのが、スペイン北部のパンプローナの牛追い祭りです。毎年7月の初めに開催されます。牛追いと言っても、実際は牛の前を人が走り、人が逃げる形。これに牛が追い付いてくる。 この牛の角等にどれだけ長く触っていられるかで勇気を競っているようです。この牛との接触で角に引っ掛けられたり、踏みつけられたりして、いままでに10数人の方が犠牲になっており、まさに蛮勇比べというところでしょうか。

★結婚などでも民族意識が高く、バスク人同士の結婚で純血の血統が保たれており、血液型でRHマイナス型が多い事でも有名です。

★バスクで忘れられないエピソードとして アメリカの 9・11同時多発テロ事件の時、小生はベルギー勤務でした。早速ヨーロッパの各事業所に義援金を募りましたが、スペインからの回答は、協力しないというものでした。バスク地方には ETAというテロ組織があり、爆発物を仕掛ける等は日常的に行われており、 実質的な被害も大きなものがあります。この様な日常であるので、テロに対する義援金とかは従業員の賛同を得られないので協力できないとの回答でした。

ETAは「バスク祖国と自由」を意味する略語で、組織そのものは1959年にフランコ独裁政権に反発しバスク地方の分離独立を目指す民族組織として発足したものです。50年を超える歴史の中で、爆発と暗殺を主体としたテロを繰返しその犠牲者は800人を超えるといわれています。(特定の地域に近づかなければ、我々一般人に危険はありません。念の為)

スペイン地区の観光

[ブルゴス] マドリッドから北へ200km程度。カスティーリャ・イ・レオン州 ブルゴス県の県都。人口16万人程度で、スペイン会社の乗用車用タイヤ生産の主力工場があります。

★ブルゴスにある、サンタ・マリーア大聖堂(ブルゴス大聖堂)は、スペインゴシック様式の傑作で、トレド、セビリアに続く三大カテドラルの一つとされており、ユネスコの世界遺産にも登録されており、 中世の民族的英雄エル・シッドとその妻などが埋葬されていることでも有名です。   

★町の広場には、エル・シッドの銅像があり、入口には町が城塞都市だったことを偲ぶサンタマリア門などがあります。 又、町の中央にはアルランサ川が流れており、市民の散策の場として愛されています。

ブルゴス大聖堂 サンタマリア門
市内を流れるアルランサ川で。市民の憩いの場。 スペインの英雄 エル・シッドの銅像

[サンタンデール] スペイン北部、カンタブリア州の港湾都市。マグダレナ宮殿が置かれて以降、リゾート地として広く知られています。この近郊のプエンテ・サン・ミゲルに鉱山・農耕用などの大型タイヤの生産工場があったのでこの地区も良く訪問しました。   

★サンタンデールの西30km程のところにはスペインで一番美しいと言われている村「サンティジャーナ・デル・マル」があります。この村は、中世の町の姿をそのまま残しており、14,15世紀の紋章の付いた石造りの家々や11世紀のカテドラルなど村全体が重要文化財に指定されています。   

★サルトルが彼の小説の中で主人公に「スペインで一番美しい村」と呼ばせた為に有名になり、スペインの旅行専門誌「ビアハール」の読者によるスペインの美しい村ランキングでも堂々のトップにランクされました。日本の皇太子(現天皇)が訪問したとかいうことも小耳にはさみました。写真は妻とこの町を訪れたときのもので、ペン画はその時に購入したものです。

★「サンティジャーナ・デル・マル」から数キロのところに、ユネスコの世界文化遺産に登録されている石器時代の洞窟壁画で有名なアルタミラ洞窟があります。洞窟そのものは、壁画保護のために一般には公開されていません。近くまで行きましたが、変哲のない林の中に看板が立てられていました。我々は絵葉書などの模写品で満足するしかない事になります。

            [サンタンデール近郊のサンティジャーナ・デル・マルを訪れた時のスナップ

アルタミラの壁画 サンティジャーナ・デル・マル 
サンティジャーナ・デル・マルのParador(宿)の前で妻と 同教会の前で

[ビルバオ ビルバオは、スペイン北部の都市。バスク州ビスカヤ県の県都。人口は約36万人で、スペイン第10位。スペイン北部屈指の港湾都市で、鉄鋼業が盛んです。 ここには、スペイン会社の本社とトラック・バス用タイヤの生産工場があり、スペイン訪問時はここからスタートする事が多かったです。   

有名なものとして

a.
グッケンハイム美術館 建物はアメリカの建築家フランク・O・ゲーリーによって設計され、脱構築主義建築の傑作とされており、平らな面が一切なく、チタニウムの板がうねる有機的な形です。時代の最先端の技術を利用して設計されている建物外観は、ネルビオン川に浮かぶ船のようにも見えます。

グッケンハイム美術館前で妻と グッケンハイム美術館全景

b.ジェフ・クーンズのパピー グッケンハイム美術館の入り口には、高さ12.4mの鉄の骨組みに種々の花々を植え込み、子犬(パピー)の形に刈り込んだ彫刻があり、花の時期には、来館者の目を楽しませています。

パピー

c.ビスカヤ橋 ネルビオン河口に架かっている世界最古の運搬橋で、2006年には、ユネスコの世界遺産に登録されました。   

ビスカヤ橋は高さ50m、長さ 164 mあります。一帯は重工業地域で、ネルビオン河を使った海運も盛んで、船の運航を邪魔しないように橋の構築物は50mの高さに立てられています。一方、人と車を乗せるゴンドラはワイヤーロープでぶら下げられており、道路面の高さに合わせてある。言わばブランコの様なもので、この様な構造の物は世界的にも珍しいものです。

ビスカヤ橋

[セゴビア] セゴビアはマドリッドにも近く、ローマ文化の影響を受けた都市景観とローマ水道橋は日本人にも人気があります。セゴビアの旧市街と水道橋は世界遺産に登録されています。

セゴビアの水道橋

バスク・サンタンデール・ブルゴス地域の食べ物で記憶に残っているもの。

① 前述のハモンイベリコとリョウハワインは定常的に食べ、飲み、一番気に入っていました。
② サンタンデール海岸では、イワシなど魚介類の素焼きの出店があり、素朴な味で、これでビールを一杯と言うのも捨てがたい。
③ 魚介類一杯のパエリア。サフランで黄色く色づけられ味も見栄えも抜群です。
④ バスク地区のイカスミ料理。ヨーロッパの他の地区でイカスミは余り使わない。さっぱりとした日本人好みの味で良く食べました。しつこいソースのフランス料理の対局にあるような料理。
⑤ バスクではウナギの稚魚(アンギュラス)料理が有名。高級料理で口に入る機会は少ない。ヨーロッパのウナギの成魚は太く大きい。断面積は日本ウナギの3倍ぐらいはあるか?通常は成魚を燻製にしたものを輪切りにして食べていました。あまり人気は無かった。一方稚魚は大人気の高級料理で、日本のカニカマに似た、人造稚魚が出てくるほどでした。現地人は、人造の物は目の位置が違うから偽物とすぐ分かるとか言っていました。
⑥ ブルゴスでは、やわらかい離乳前の仔羊の焼肉や血の腸詰めソーセージなどが有名で良く出てきました。個人的 にはあまり好きではありませんでした。

★各人で好みは大きく違うと思いますが、ヨーロッパでの食の好みを敢えて言うと一位はスペイン料理その中でもバスク料理がダントツ。二位はイタリア料理。三位は離れてフランス料理。ドイツ・イギリスは圏外という印象を持っています。

スペインの記念品

★この機会に何があるかと家じゅうを捜してみました。数少ないですが、下記に記載してみます。
① ジャドロの陶器製人形

ジャドロの陶器製の人形

日本では、リヤドロとか違う読み方で出ていることも多いようですが、スペイン語読みではジャドロと言います。スペインでは有名で、写真の「街灯に火をともす男」は小生の帰任時に記念品として贈られたものです。

② ピカソのゲルニカ  

★バスク人は、ゲルニカの絵を、バスク人の自由と独立を勝ち取るための象徴のように考えているように感じます。添付写真は、小生の帰任時、スペインの友人が、小生に贈ってくれたゲルニカの額です。(周りが鏡状で光を反射して上手く撮れなかったので絵の部分のみトリミングしました)  

ゲルニカの額

★この絵に関する解釈は色々あるようですが、「ゲルニカ」のインターネットでの解説を下記引用します。  

【ゲルニカのインターネットから引用解説】

・1937年4月26日、フランコの要請に応じたヒトラーの空軍が、突然スペインのバスク地方の小さな村ゲルニカを爆撃した。そしてわずか3時間の間に二千人もの村人が殺害されてしまった。この村の全人口は、当時七千人だったから、村の三分の一に近い人々が殺されたことになる。

・ピカソは、このことに対して激しい怒りを込めて、わずか一ヶ月の間に、大作「ゲルニカ」を完成させてしまった。それは、縦3.5メートル、横8メートルにも及ぶ、これまで誰も眼にしないような衝撃的な作品だった。この時の心境についてピカソはこのように言っている。「スペインの戦争は、人民と自由に対する反動の戦争だ・・・(この後は省略します。)」

③ 金箔細工  

★添付は、ブルゴス地区で作られた、闘牛士を描いた金箔細工です。時間が経ち金箔が剥がれてきています。

闘牛士の金箔細工の額

④ 皮製品   

★スペインでブランド物と言うと、ロエべ が有名(と言うかロエべしかない?)。フランス、イタリアの有名ブランドの浸透度合いとは比べようも有りませんが、各地区で作られている皮製品は豊富で安い、物によってはイタリアあたりからの委託生産も受けているようです。スペイン製の皮コートや靴は今でも愛用しています。

最後のスペイン

★スペイン訪問回数は数十回に及ぶが、一般的な観光はあまりしておらず、闘牛とかフラメンコ を直接見た事はありませんでした。 2002年9月28日からの4日間、帰任時期も決まり残務処理を残すのみとなった機会に、妻とマドリッド・トレド周辺の観光に出かけました。純粋の観光をゆったりとするのも落ち着いて良いもので、記憶は鮮明に残っていますが、既に10年以上前の出来事です。

ドンキホーテの像の前で妻と

★この辺が、小生の最後の海外経験で、この後、2002年11月に日本に帰国し、15年に及ぶ長い海外生活と別れを告げる事になりました。振りかえってみると、日本では経験できなかったであろう、異なった人々、文化、習慣、風土 などに接する事ができ、会社には、貴重な楽しい体験をさせてもらった事を感謝しています。

★国友さんのスペイン紀行に刺激され、雑然とした古い記憶を、スペインを中心にまとめてみました。記憶は曖昧、写真なども沢山あるはずだが、なかなか見つからないし、又、写真があってもどこで何を撮影したか分からないものが大部分で、やはり日々の管理は大事だと反省した次第です。 しかしこの整理を通して、懐かしい思い出がよみがえり楽しい一時でした。

★この機会を与えて頂いた事にお礼を申し上げ「スペインの思い出」を終わりたい。(2013.1.15 大島 記)

♪BGM:Debussy[Arabesque]arranged by Pian♪

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