いなほ随想
セピア色の写真から甦る65年前の早稲田の青春
フランス語劇「パリの屋根の下」の仲間たち

石井道彌(27文)

★この正月(2012年)に、暁星小学校・中学校の時から同級で、早稲田第二高等学院1年L組でも同級生であった山縣實君(父君山縣武夫氏は早稲田中学から海軍兵学校に進み、山本 五十六元帥と同級生、後に宮内庁式部長官となる)の家に行った時、「フランス語劇 パリの屋根の下」の上演の時の記念写真があったので、複写を送ってもらいました。

★当時、早稲田第二高等学院は、入学試験科目は、英語の代わりにフランス語で受験できました。先輩から「英語で受験するより有利」と言われて、フランス語で受験しました。

◆早高院1年L組担任は歌人の窪田章一郎先生

★昭和22年(1947年)早稲田第二高等学院に入学しましたが、クラスは、1年L組(フランス語とロシア語を第一語学とする学生のクラス)で、担任は、窪田 章一郎先生 (父君は国文学者 窪田 空穂(うつぼ)先生)でした。

★入学後すぐ、フランス語部に入部しましたが、部長は暁星の先輩の近藤等先生でした。その年にフランス語部で「フランス語劇 パリの屋根の下」を大隈小講堂で上演することになったのですが、記録がないので、写真から当時の記憶を辿ってみることにします。

1947年、フランス語劇「パリの屋根の下」上演の仲間たちと大隈講堂前で
前列左から4人目が石井さん、右隣は岡田順子さん(後の遠藤周作夫人)

◆Sous les toits de Paris

脚本 1930年のフランス映画「巴里の屋根の下」(監督ルネ・クレール)のシナリオから、当時の第二高等学院フランス語部の先輩(名前不明)が、フランス語劇の脚本を書いてくれました。

[演出・舞台監督] 演劇志望の先輩(学院だったか、学部だったか、氏名も不明) 写真の前列右から4人目、ベレー帽の人。舞台装置・大道具もこの人とその友人が準備してくれました。

[衣装] 出演者の衣装は自前で、舞台監督の指示に従って、出演者が自分で都合したものでした。

[音楽] アコーデオン・ギター・バイオリンのトリオ、先輩の早大の音楽グループでした。

[フランス語指導] ・パリ帰りの近藤等教授。パリジャンの独特のアクセントを指導して頂きました。写真中央のコートにマフラーの人(この方は山岳部でも高名な先生です) ・野村二郎氏(東京外国語学校フランス語科卒)2列目左端の人。野村さんには、時折、暁星の同窓会でお目にかかりますが、今度お目にかかる時、この写真を持って行き、当時のお話をしてみるつもりです。

[出演者] 早稲田第二高等学院フランス語(1年生から3年生まで殆ど全員だったと思います。但し女性部員がいなかったため、女性の出演者は、先輩の紹介で、当時、文化学院・アテネフランセに通っていた、フランス語ができる女子学生に、出演をお願いしました。

◆主演女優は後の遠藤周作夫人・岡田順子さん

[主演の女性]岡田 順子さん。東洋英和から慶応の仏文へ行った方。当時御茶ノ水の文化学院にあったアテネフランセに通っていました。先輩と一緒に、大森の岡田さんのお宅に、出演のお願いに行った記憶があります。後に、岡田順子さんは、遠藤周作夫人になりました。

[写真の出演者] 前列左から金子さん(3年生)、姓名不明の人、黒沢さん(3年生)、石井道彌(1年生)、岡田順子さん、演出・舞台監督、中山さん(2年生)、背広姿の3年生(氏名不明)、応援の女子学生。2列目左から2人目、パリの巡査役:秋谷栄之助君(早稲田第二高等学院L組同級生、九段中学校出身、仏文志望でしたが、肺結核で1年留年。後に創価学会会長になった人です。一人おいて近藤先生の手前の女性は、日吉さん(文化学院)、近藤先生の隣りは土田さん(3年生)。

石井さん(中央)、岡田順子さん(右)、秋谷栄之助さん(後列の左端)

◆ゴールデンバットで「粋なパリっ子の咥えタバコ」の特訓

この写真を見てもう一つ苦笑いを浮かべながら思い出したことが、タバコとの出会いです。入学当時は、酒は平気でしたが、まったくタバコは吸いませんでした。芝居をやることになり、脚本を貰って、冒頭に「咥えタバコで下手より登場」の文字を見た時、愕然としました。

★開幕早々舞台に上がるのは嬉しいのですが、粋なパリッ子の主役が咥えタバコで噎せたのでは、みっともなくて、浅草の喜劇にもならないと、早速「咥えタバコで恰好よく歩く」ことの特訓が始まりました。軽くて良いタバコをあてがわれる筈もなく、値段の安いゴールデンバットが特訓の小道具になりました。後で判ったのですが、ゴールデンバットは、一番安かったのですが、いちばん強いタバコだったようです。


★中学生の時に、空襲から逃れるために逗子に移り、横須賀線で通学していましたが、特訓が始まってからは、学校の帰りに逗子駅に着いてもすぐ歩き出せず、青い顔で、汗の出る手を握り締めて、ホームのベンチに座って、蛙がはらわたを出して水で洗っている絵本の挿絵を思い出していました。特訓のお蔭でタバコの味が判るようになり、本番の時はゴールデンバットでなく、洋モクのラッキーストライクに格上げされました。

ゴールデンバット ラッキーストライク

◆「咥えタバコで下手より登場」その後

★芝居を契機に、日常タバコを吸うようになり、卒業後入社した会社では、昼休みに先輩からタバコ銭を預かり、それを元手にパチンコ屋に行き、自分のタバコを稼ぎました。その後、パイプも葉巻も吸いましたが、50代で一度禁煙し、あるパーティで勧められたタバコを一服したのがもとで、再び吸いはじめ、家族で旅行に行った時に皆に言われて、二度目の禁煙をしたのが70歳の時でした。その後はお酒一筋で今日に至っています。

◆フランス語劇「商船テナシティー」では主役を取る

★「パリの屋根の下」を演じた翌年、早稲田第二高等学院 フランス語部 公演 「フランス語劇 商船テナシティー」を前年同様、映画のシナリオから抜粋して脚本を書いてもらい、1948年(昭和23年)大隈小講堂で上演しました。会話指導・脚本・演出・舞台監督は前年と同じでした。

[出演者] 早稲田第二高等学院フランス語部全員だったと思いますが、記憶しているのは、三富孝君(第2高等学院L組同級生)と石井道彌が主役だったことだけです。他の出演者については、写真もないので、はっきりしません。他校からの女性の応援出演者についても全く記憶がありません。

★翌1949年(昭和24年)4月、新制第一文学部第2学年に移行したので、「早稲田第二高等学院フランス語部のフランス語劇の公演」は、2回で終りました。

★冒頭に書きましたように83歳の正月に家内と友人の家を訪問した時、この写真が見つかりました。何しろ65年前のことなので、写真を見ても、印象に残っている方々以外は、殆ど記憶がありませんが、何かの機会にこの写真に写っている方と連絡がとれたら、どんなにか懐かしく、嬉しいことだろうと思っております。(2012年1月8日記)


◆余白

ジャズを演奏中の石井さん

★上記の思い出の記を投稿された時点の石井さんは、小平稲門会監査を務めるほか、西東京市に活動拠点を置くアマチュア・ジャズバンド「ノーザンシックス・ビッグバンド」のピアニストとして、演奏活動に元気で活躍中です。(ホームページ管理人:松谷富彦)

♪BGM:Hubert Girand[パリの空の下セーヌは流れる](UGMC HPより)♪

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