英国事情あれこれ
30年前駐在時と現在~

小川浩史(35法)

1.伝統や古いものを大切にする文化

(1)ロンドンオリンピック(2012年夏季、第30回大会) 

2012年ロンドン・オリンピック大会開会式
wikipediaより転借

・マラソンコースはウェスト・エンド(ロンドン西部の商業中心地)のバッキンガム宮殿周辺から、テームズ河に沿って走行し、石畳道路で且つ狭いシティで折返し、それを3往復した。

・トライアスロン競技は何と、ハイドパークの中の池を競泳で使用した。海は水温が低く、無理。

トライアスロンで使われたハイド・パークの池

・女子サッカーはロンドンのウェンブリー競技場の他、ウェールズのカーディフ、北イングランドのグラスゴーの競技場を会場とし、日本で言うと静岡とか名古屋程の遠隔地も会場となったため、日本女子チームはバスで何時間もの移動を回避し、ウェールズを本拠地に選択し、試  合を行った。

(2)唯一 East End (ロンドン東部の低所得者居住地域)の再開発を行い、メイン・スタジアム等を建設した。East End のうち、テームズ河を下流に向かって、ロンドンブリッジ、タワーブリッジを渡り、右岸のドック・ヤード(造船所跡地)は、近年、シティの金融機能が進出している。横浜の「みなとみらい」の再開発に似ている。なお近所にグリニッジ天文台がある。今回のオリンピック施設は、テームズ河左岸を内陸にクリークに沿って入ったところで、その地域を開発した。イギリスらしいのは、この地域の施設を、あらかじめオリンピック閉幕後、市民の利用施設として一部解体し、小型化出来るように設計したことである。

(3)質素な大会で、前回オリンピック、北京の派手さとは対照的である。

(4)ロンドンでの開催は今回が3回目。

  1908年開催の第4回は、本来、イタリアのローマで開催予定であったが、有名な火山ヴェスビオ山の噴火による被害でイタリアが返上し、代替としての大会となった。第1回はギリシャのアテネ、第2回はクーベルタンに因み、フランス・パリ、第3回はセント・ルイスで開催された。第4回ロンドン大会では競泳が、河、沼ではなく初めてプールで行われた。1948年の第14回大会は、第二次大戦後、初の大会であったが、敗戦国、日本、ドイツは参加できず降伏の早かったイタリアは辛うじて参加できた。この大会時に全盛期であった競泳の古橋選手が出場できず、次回のロスアンゼルス大会で惨敗したのも、有名な話である。

 

2.イギリスの概況

エリザベス女王 バッキンガム宮殿の衛兵の交代式
wikipediaより転借 wikipediaより転借

(1)面積 日本の2/3。但し平地が多く、有効利用面積は日本以上である。

(2)人口は約6000万人。(日本の半分)

(3)四つの地域の連合王国(U.K.)

  イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四地域からなるが、ケルト系、アングロ・サクソン系とがあり、昨今のスコットランド独立投票も話題となっている。地域によって使用言語も異なり、ウェールズの道路標識はウェールズ語、英語の二種類表示である。スコットランドでは、バンク・オブ・スコットランド発券のポンド通貨も流通し、これをイングランドの中心地ロンドンで買い物で使うと嫌な顔をされる。また我々外国人が、連合王国をイングランドと呼ぶと、対抗意識の強いスコットランド人には、それはスコットランドを排除した言い方だと怒られる。

(4)緯度はカムチャッカ半島と同じだが、メキシコ暖流の影響で比較的温暖且つ低湿度。

(5)夏の日照時間は長く、日没は夜10時台。冬は日が短く、朝は8時に明るくなり、夕方3時に日没。6月の日の長い日に夕方6時ごろ、一斉に仕事を打ち切り、行内ゴルフ・コンペを毎年実施している邦銀もあった。

(6)意外と階級社会が残っている。

  ミュージカル、マイ・フェア・レディで教授が下町娘の英語の発音を矯正するシーンもあったが、発音の差もある。ロンドン支店の次長であった私が、日本から送ってきた日本の新聞・週刊誌等の束を行内で持ち運んだりすると、下から叩き上げの男だと評価されるので、止めてほしいと部下から言われたことがある。同時に雑用係の現地人の仕事を奪うことになると反発される。

(7)ジョーク好きの人種

  私は英語でジョークが言えず、「その列車に間に合わないと帰宅できない」と、ジョークを使って夜食会を上手に退席するイギリス人を羨ましく思ったことが多々あった。

(8)イギリスの資源。

  北海油田はあるが、最大の資源は産業革命で国土を荒廃させた反省から、豊かな緑を資源  だとし、ナショナル・トラスト等で、大切に保存している。

(9)日本との時差

   8時間(サマータイムあり)

ロンドン-成田間のフライトは、かつては東西冷戦下で、アラスカ、アンカレッジ、北極海経由  で18時間を要した。現在は新潟上空、シベリア経由で12時間。北極海の白い水上に、雨水が青く宙水として、光って見えたことが懐かしい。

 

3.私とイギリス

シティ・オブ・ロンドン ウエストミンスター宮殿(国会議事堂&ビッグベン)
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(1)1980年~1983年 三井信託銀行(現三井住友信託銀行)ロンドン支店次長として勤務。 当時は邦銀国際業務の全盛時で、「シティ」と呼ばれる金融街で、日本の銀行が目立った存在。

(2)その時代の背景

サッチャー元首相 ダイアナ妃
wikipediaより転借 wikipediaより転借

・保守党サッチャー首相(鉄の女=アイアン・レディ)の登場。

  金融改革(BIG BANG) により、経済活性化。

・チャールズ皇太子とレディ・ダイアナの結婚。

  レディ・ダイアナも貴族の出自であったが、結婚するまでは、ロンドン市内の保育園の先生。  庶民的で国民に人気があった。

・アルゼンチンとのフォークランド戦争。

  全国民一致しての戦争ムードではなく、軍人は有事のために税金で養っているとの感じが強く、片方ではサッカーなどで大騒ぎしていた。有事の際の日本の国民感情と随分違うと、今でも印象に残っている。

  竹島を不法占拠している韓国軍を追い出そうとして局地戦闘となった場合、恐らく日本人の関心はそのことに集中し、全てのことが自粛ムードとなるであろう。

(3)30年前と今との大きな変化。

・EU統合が進んだことにより物流が変化し、日常の食事内容が多様化した。

・旧英連邦諸国からの移民流入で、若年失業者が増加し,治安が悪化。

  今や昔のIRA(北アイルランド独立を目指す過激派)ではなく、中東、南アジア、アフリカ諸国から流入した過激派対策に追われている。かくして、ロンドンは監視カメラ多立の都市となった。

 

4.イギリスの思い出

(1)住居

チームの借上げ社宅前庭に立つ筆者 ゴールダス・グリーンの借上げ社宅

・借り上げ社宅は一戸建て。他に、 Semi-detached House(ニ戸建ての家) 形式もあり。皿に至るまでの家具付きが一般的。

・イギリス人はガーデニングが大好き。夕刻、庭での夕食時の芝刈りは厳禁。日中、奥さんに芝刈りでもさせたら軽蔑される。要は男の仕事。

・最初の借り上げ社宅はロンドン南郊のサリー州。緑豊かなイギリス白人の町(Cheam)で、近所はゴルフ場銀座。

・後半1年は日本人学校(子供3人が通学)が近い、北部のJ.J.タウン(ユダヤ人と日本人)

  ゴールダーズ・グリーン。なお、日本人学校は現在、西側郊外に移転している。

(2)衣料

・カシミヤのセーター

・コ-ト(アクアスキュータムとバーバリー)

・背広(高級仕立て。親子代々大切に着用)

  イギリスで買った高級生地を持ち帰り、日本の有名デパートで背広に仕立てたら一着50万円かかったという人の話を、耳にしたことがある。

(3)食べ物

フィッシュ&チップス
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・ロースト・ビーフ、ドーバー・ソール(ひらめ)、フィッシュ・アンド・チップス

・米はカリフォルニア産のジャポニカ米。大変おいしい。昔、日本企業の技術者が減反政策で  当時国内は改良技術が活かされず、やむなく米国で実用化した品種もあるらしい。但し、インド・カレーにはパサパサした黄色い長粒米が合う。

・レストランは、全世界の食べ物で多様化。(インド、中国、フランス、スペイン、ロシア、イタリア、メキシコ、トルコ、日本料理等で多彩。)

・食肉論争

  鯨肉食が野蛮か、子羊食が野蛮か。

(4)パブ(地域の社交場)と飲みもの

ロンドン市内のパブ
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・ビールは二種類(ラガーとビター) この他、黒ビール(スタウト)もあり。

・ウイスキー(スコッチ、モルトとグレイン)

  オールド・パー、ジョニー・ウォーカー(いまは高級品、青がある)、シーバス・リーガル。  高級品ロイヤル・サルートの日本人向けセット販売

・ワイン(英国ではブドウが育たない。全て輸入。) 但しワイン・テースター(鑑定人)は多い。

・ブランデー(ナポレオン、X.O.)

・コーヒーより紅茶(水が硬水で紅茶に合う。高級品は、フォトナムメイソンのダージリン他。)

・食前、食後酒(ポルトワイン、シェリー酒、ジン他) シェリーはスペインものがよい。

・パブとダーツ 最近はカラオケもある模様。16才未満入場不可。

(5)交通機関

ロンドンの地下鉄 シティを走行する二階建てバス
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・地下鉄と、その後、民営・分割化された英国国鉄(British Rail)

 ドーバー海峡トンネル開通(1994年)とユーロスター(パリ・ロンドン間)

・タクシー:ブラック・キャブ(黒塗りで大型)とミニ・キャブ(普通の乗用車)

  最近、ブラック・キャブの製造会社の経営破たんで大騒ぎとなっている模様。運転手の登用試験は難しい。ロンドン市内の町名は全て固有名詞。(何丁目は無い。)全ての通りには名前があり、試験前に覚えるのが大変。

・二階建てバス。(赤一色だけではない。)

・高速道路(全て無料)

・左側通行とラウンドアバウト(Round About)

(6)スポーツ

・ラグビーとフットボール(サッカ-)

  かつてはラグビーは学校・クラブのスポーツであり、ボール1個から始められるサッカーは一般庶民のスポーツであった。

・クリケットとテニス(芝コートが一般的)

  クリケットのルールは難解。コース料理でイギリス人と食事すると、どうしても当方の食事ペースが遅くなり困ることが多々あった。その際はクリケットのルールを説明させ、相手が一生懸命説明している間に、当方の食べる時間を稼いでいた。別な人から何回ルールを聞いても分からなかったので、説明をさせるのに罪悪感はなかった。

・ゴルフ(海沿いはリンクス・コース)

  コース条件は全て自然任せ。ラフが深く、ロスト・ボールになること多々あり。よく手入れされた日本の箱庭ゴルフ場とは対照的。

セント・アンドリュース・オールド・コース。3年間に3回、6月にプレイ。(パブリックコースのため日曜日はクローズされ、市民の散歩道となる。)ニュー・コース、ジュビリー・コース等は日曜日プレイ可。私のオールド・コース、最高スコアーは50,42の92。キャディーフィーの方がグリーンフィーより高い。

バンカーは元々、羊の風よけ。そこに砂を入れてゴルフ場をつくったのがゴルフ発祥。

(7)娯楽 音楽 演劇 美術館 植物園等

・カジノ・クラブ

  高級店は会員制、ネクタイ着用。紳士、淑女の社交場

  有名なカジノ・クラブ クロックフォードのメンバー。アラブ美人の顧客も多かった。

・ストリップ劇場

  レイモンド・レビューバー等の高級劇場は卑猥性もなく、男性ダンサーも出演して芸術的で女性客も多い。

・クラッシック音楽

  ロンドン交響楽団、フィルハーモニー管弦楽団等の名演奏が市内各地のホールで定時、簡単に聴ける。

  ロイヤル・コベント・ガーデンでのオペラ、その他ミュージカルも多彩。

・ロック・ミュージックの本場。

  ビートルズゆかりの場所が多い。(例 アビーロ-ド)

・博物館、美術館

  大英博物館 ナショナル・ギャラリー、テート・ギャラリー等、入場無料のところが多い。

・競馬、ドッグレース

  イギリス人は賭事大好き人間。何でも賭けの対象とする。(例 選挙結果までも。)

アスコット競馬、女王も持馬あり。ウィンザー城の坂より、馬車で直接会場へ。

  なお、城に女王が滞在している時は、ユニオン・ジャック旗が掲げられ、それで判る。バッキンガム宮殿滞在時も同様である。

・大学

ロンドン大学 オックスフォード大学 ケンブリッジ大学
wikipediaより転借 wikipediaより転借 wikipediaより転借

  ロンドン大学は経済人中心、オックスフォード、ケンブリッジはどちらかといえば

  学者、研究者、教員志向の学生が多い。

・パブリックスクール

  イートン校、ハロー校等、全寮制。生まれた時から寄附を続けて入学も可能なケースもある。

・絵画と骨董市

・陶器、食器(シルバー)

  ウェッジ・ウッド等のボーン・チャイナ。

  マッピン・ウェッブの銀食器、スプーン。

  陶器は景徳鎮陶器などの中国から持ち帰ったものが多数あり。英国王室は大富豪。

(8)観光地

ロンドン塔 バッキンガム宮殿 ウエストミンスター寺院
wikipediaより転借
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  ロンドン市内には、ロンドン塔、バッキンガム宮殿、ウェストミンスター寺院、大英博物館  をはじめ、数多くの観光スポットがあるが、地方にも次のような観光地がある。

・近郊

  ケンブリッジ、オックスフォード、ブレナム宮殿(チャーチルの生家)

  シェイクスピアの生地ストラトフォード・アポン・エイボン。

シェイクスピアの生家 シェイクスピアの生誕地ストラット・フォード・アポン
ワーズワースの生家(湖水地方)

  奇石岩ストーンヘンジ、ローマ時代の風呂があるバース、リーズ城

ドーバー海峡の白い崖、カンタベリー教会、古いヨークの町(New York の源)

・遠隔地

  湖水地方(日本の箱根に似ている)、ピーター・ラビットの旅

  ヒースの「嵐が丘」(ブロンテ作)

エディンバラ城とハイランド地方(ネス湖やインバネスの町等々)

  いずれの旅も宿泊は安価なB&B(ベッド&ブレックファースト)が便利である。

5.その他

1)自主性を重んじる国

  規制国家の日本の逆。車の免許も簡単に取得でき、費用も安い。路上で試験。当時(1999年まで)は写真添付が不要で、免許証の更新も70才までなし。

・スピード違反等の取締まりなど、余計な警官配置なし。

・個人の自主性を重んじる伝統。代わりに、万が一事故を起こしたら責任重大。

(2)社会保障充実

・年金制度は、日本のようなドタバタはなく、余分な人員を抱える日本の厚生労務関連の役人 (旧社会保険事務所等の出先も含む)より、はるかに少人数で運営、且つサービスもよい。  何か問い合わせると、必ず担当者名、連絡先の電話番号等具体的に連絡してくれる。

  なお付加価値税(VAT 日本の消費税)は現在20%(主要食品には課税されない。)

(3)英国稲門会

・著名な作家 マークス寿子女史が会長。

(元男爵夫人。離婚。本人が平民と再婚しなければ爵位は失わず。)

・英国稲門会東京支部もある。息子(長男)も会員で、私も同伴して出席したことがある。

  地域稲門会と異なり、英国から帰国した会社員が中心の会合、パーティであるため、英国留学経験のある大学生も多数参加し、活発に交流している。

(4)ラグビーの故宿澤氏の思い出

  元三井住友銀行専務。群馬県での山登り 中に急逝。本人と同時期に滞在し、年次も10年ほど違うが仕事でも一緒したことがあった。ディーラー経験もあってか、マージャンも強かった。 なかなかの好男子で、「自分は政経学部卒ではなくラグビー部卒だ」と常に言っていた。将来の頭取候補と期待されていたが、急逝を残念に思う。( 2012年11月記)         


♪BGM:Chopin[Nocturn1]arranged by Pian♪

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