いなほ随想

江戸三十三観音巡礼忌

滝沢公夫(33法)
文・写真

[その3]

[第十三番 護国寺]

大隈重信候の墓もある広大な境内

(山号) 神齢山 (宗派) 真言宗豊山派 (本尊) 如意輪観音

(所在地) 文京区大塚5-40-1

(巡礼歌) もろもろの くのうをすくう 観世音

     だいひの恵み とうとかりける

護国寺本堂

★この寺は、有楽町線護国寺駅を降りてすぐのところにあります。区文化財の仁王門と総門から入りますと、境内は極めて広大で、豪壮な本堂は重要文化財に指定されています。堂内の彫刻、仏画等も優れています。また、滋賀の園城寺から移された月光殿も重要文化財に指定されており、常時茶会等の行事が開催されています。

★本堂左手前には、昭和13年に建立された多宝塔があります。滋賀の石山寺に模して造られたといいますが、地味で古色もついて、品格のある塔です。その他、桂昌殿では、頻繁に有名人の葬儀が行われています。

「護国寺は徳川だらけ」といわれますが、この寺は元和元年(1681)五代将軍・綱吉が、母桂昌院の発願により、上野国碓井八幡別当・大聖護国寺の亮賢僧正を招いて開山したことに始まります。元禄10年(1697)観音堂(現本堂)が完成、その雄大さは都下随一といわれました。享保2年(1717)神田の護国院が焼失したことにより当寺と合併し、幕府祈願の任を変わりなく勤めて、江戸の名所として庶民に親しまれてきたといいます。明治・大正の二度の火災で多くの堂宇を失いましたが、本堂は無事でした。

★この寺は観光寺院ではありませんが、拝すべきものは多く、大隈重信、三条実美、山縣有朋、大倉喜八郎等の豪壮な墓所もあります。多くのものを見ることによって、信仰心も湧いてくるのではないかと思います。兎に角、感動を持ってゆっくりとしたい寺です。

[第十四番 金乗院(目白不動)]

目白不動で有名

(山号) 神霊山 (宗派) 真言宗豊山派 (本尊) 聖観音

(所在地) 豊島区高田2-12-39

(巡礼歌) うつし世の まことの道をたずぬれば

    しるしまみえん 宿坂の里

金乗院(目白不動)本堂

★この寺は、都内唯一の都電・学習院下駅の近くにあります。この付近は、昔奥州街道の宿場であったといいますが、その面影は全くありません。坂の町のため、寺域内も階段が多いです。

ここは目白不動の名の方が有名です。また、境内の倶利伽羅庚申塔も、最近の石造ブームによって名高いです。新長谷寺が焼失したため、昭和25年に金乗寺と合併して新発足したもので、近年本堂も再建されました。

境内には石碑や墓石が散在しており、案外心が休まる寺です。ご朱印をお願いしましたら、お供物を頂戴しました。

[第十五番 放生寺]

穴八幡神社と一体となった寺

(山号) 光松山 (宗派) 高野山真言宗 (本尊) 聖観音

(所在地) 新宿区西早稲田2-1-14

(巡礼歌) ひとおおく たちあつまれる いちのみや

    むかしもいまも さかえぬるかな

放生寺本堂

★この寺は、地下鉄早稲田駅のそばにあります。明治初年の神仏分離までは、穴八幡神社の別当寺であったことから、同じ敷地内にあり、縁起も同様です。一陽来復や古本市等で、穴八幡ばかりが有名になっています。バス通りから狭い道を登っていきますと、鉄筋コンクリートの堂々たる本堂が現れます。

★穴八幡の起こりは、寛永13年(1636)丙子御弓隊長・松平新五左衛門尉源直次達が、弓の的山を造り、八幡宮を勧請して祠を建てました。そこに、周防国の山口八幡氏子・威盛院良昌が訪れ、穴八幡の社僧に迎えられたといいます。そして、元禄年間には、幕府の援助もあって大社となりました。良昌上人を開基としているので、当初は威盛院中の坊と称しましたが、放生池があるため放生寺と定められ、更に明治の神仏分離で実光上人が住職となって穴八幡を離れ、穴八幡は弟子の景明が神主となったといいます。

私の学生時代にも、この寺で一陽来復のお札を戴くのが楽しみでした。また、古い放生池は現存しませんが、新しい池で鯉が泳いでおり、放生会の行事も続いています。境内の、関東大震災被災者を供養する石造地蔵尊もなかなかのものです。ご朱印をお願いしましたら、お供物を頂戴しました。本当に庶民に密着した寺です。

[第十六番 安養寺(神楽坂聖天)]

神楽坂にあるコンクリート造りの寺

(山号) 医光山 (宗派) 天台宗  (本尊) 十一面観音

(所在地) 新宿区神楽坂6-2

(巡礼歌) 聖天と 身をあらわして 福寿海

    無量の誓い たのもしきかな

安養寺本堂

★この寺は、神楽坂の繁華街にありますが、入口が目立たないので、うっかりすると通り過ぎてしまいます。鉄筋コンクリートの聖天堂内の札所本尊は、拝することができません。

★ここは慈覚大師の創建で、初めは江戸城内にありましたが、徳川家康が江戸に入る際に、二か所を転々としてこの場所に移ったものといいます。また、観音、聖天ともに延暦寺から勧請されものといいます。

★屋上の薬師堂にある薬師坐像は丈六の巨大なもので、江戸時代から庶民に信仰されてきましたが、本当に感動しました。 また、不動明王は、現住職が回峰行をした時に贈られたもの、聖観音は、三鷹事件の際信徒から贈られたものといいます。

[第十七番 宝福寺(中野観音)]

広大でゆったりとして草花が美しい寺

(山号) 如意輪山 (宗派) 真言宗豊山派 (本尊) 如意輪観音

(所在地) 中野区南台3-43-2

(巡礼歌) うつろなる この世にありて 頼みする

     如意の観音 宝福の寺

宝福寺本堂

★この寺は、地下鉄方南町駅から行きますが、本当に分かりにくいです。寺域は極めて広大で、清掃が行き届いています。四季それぞれの花も咲き乱れています。

★ここの本尊は、聖徳太子が諸国巡礼の時、ここに堂を建立して安置されたものといい、観音堂に祀られています。

江戸時代から、もっぱら中野観音と称されているようです。本堂も大変豪壮であり、また、観音堂のそばには、石仏が何体か祀られています。あまり見るべきものはありませんが、ゆったりとした気分にさせられる寺です。(続く)

 

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