いなほ随想
特   集

西国三十三観音巡礼記

滝沢公夫(30法)
文・写真


西国三十三観音霊場配置図(京都府内の15〜21番札所を除く)
wikipediaから転借


[第1番札所 青岸渡寺]
青岸渡寺本堂

発願の寺 [第一番] 青岸渡寺
(山号)那智山 (宗派)天台宗山門派 (本尊)如意輪観音
(所在地)和歌山県那智勝浦町那智山8
(巡礼歌)補陀落や岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝津瀬

★この寺は、仁徳天皇の頃、裸形上人がインドから熊野に漂着し、那智の滝の地に庵を建てたことに始まるといわれています.その後、推古天皇が堂宇を建て、大和からの生佛上人が如意輪観音を安置し、更に神仏習合の道場として、本宮、新宮、那智を熊野三山と称して、熊野詣が全国的に広まったものでしょう。花山法王の長期滞在もあったようです。

★ここを最初に訪れたのは、熊野三山と伊勢を巡る旅の時でした。紀勢本線那智駅から、国鉄バスに乗車。次第に高度が増し、右手に那智の滝と五重塔が見えてきます。更に少し進んで、土産物屋が並んだバス停広場で降ります。土産物屋に荷物を預け、杖を借りて急な階段を登りはじめますと、怪しい雲から雨が急に落ちてきました。

★磨り減って苔むした石段に、長年の巡礼者の気持ちが伝わってきます。滑らないように気をつけて登ると、右手に仁王門があり、ここを右に曲がって門をくぐります。間もなく、入母屋造り、柿葺きの本堂の前に出ます。豊臣秀吉が再建させた建物で、室町時代の貴重な重要文化財です。薄暗い本堂の中に入り合掌していると、本尊は拝めないものの、札所の打ち始めという厳粛な気分になってきます。ここで納経帳を買い、ご朱印をいただきました。感激の一瞬でした。

★向拝からあたりを眺め回しますと、すぐ前に赤い五重塔、右手遥かに白い帯のような那智の滝が、静かな音で、美しく荘厳な風景を醸し出しています。しばらく見とれながら雨の止むのを待ち、すぐ左手にある那智大社を参拝しました。大規模なもので、寺とは違った神々しさを感じました。


青岸渡寺の本堂から那智の滝を望む

★ここから、別の階段をかなり降りますと、那智の滝の前に出ます。ここが滝の礼拝所となっていて、拍手を打ちます。滝の上からは次々に水が現れては落ち、引き込まれるような感じで、音も轟々たる地響きを伴っています。しばらく上と下を交互に見つめ呆然としていました。

那智の滝

★ここで滝のご朱印を頂戴して、那智の駅に戻り、更に新宮に行き、速玉大社に参詣。新宮で一泊して、翌日は熊野本宮に参詣。瀞八丁を観光して帰途につきました。それにしても、本当に充実した旅であり、何年かかっても三十三観音全部の巡礼完了を心に誓ったのでした。

★2回目にこの寺を訪れたのは、概ね5年後です。紀勢本線で真っ直ぐ那智に向かい、霧に包まれた本堂に入りました。実に懐かしい思いで一杯でした。滝も前の時と変わらない風情を保っています。今度は、掛け軸を25,000円で購入し、早速ご朱印をいただきます。自分でドライヤーを使って墨を乾かす方式になっており、一寸味気ない感じもありましたが、混雑している状況では止むを得ないでしょう。今回は、ここから潮岬回りで、2番札所の紀三井寺に向かったのでした。夕闇に包まれた景色を車窓から眺めながら、旅愁とともに、これからの2回目の巡礼が無事に完了するよう、決意を胸に秘めたのでした。 



[第2番札所 紀三井寺]
紀三井寺山門 急な石段

春の桜で有名 第二番 [紀三井寺]
(山号)紀三井山 (宗派)救世観音宗  (本尊)十一面観音
(所在地)和歌山市紀三井寺町1201
(巡礼歌)ふるさとをはるばるここに紀三井寺 花の都も近くなるらん

★この寺の開創は、宝亀元年(770)、唐の僧、為光上人だといわれています。永正六年再建の山門を入りますと、すぐに急な石段があり、230段登ることになります。見上げると怖気づくほど急なものです。観念して登りはじめますと、右手には、清浄水、楊柳水、吉祥水の三つの滝または井戸があり、これがこの寺の名称の語源になっています。

★やっと階段を登りつめますと、六角堂、鐘楼、太子堂等の堂宇があり、それぞれ歴史を感じます。正面には宝暦元年再建の本堂が堂々と建っています。中は薄暗い神秘的な雰囲気で、厨子の中には、十一面観音が安置されていて、思わず深く合掌してしまいました。

紀三井寺本堂 本堂

★この寺には、昭和40年頃の大阪勤務時代や、その後の東京からのバスツアーで、主に春の桜の素晴らしさを鑑賞するために来たことがありました。しかし、このたびの納経帳持参での参詣、更に掛け軸持参での参詣で、一層身近かに感じることができました。

★本堂手前のやや高い場所に多宝塔があります。バランスのとれた堂々たるもので、国指定重要文化財になっています。この場所からの展望はすばらしく、和歌の浦が一望のもとです。万葉集にある、山部赤人の「和歌の浦潮満ちくれば潟を無み 葦辺をさして田鶴鳴きわたる」の名歌が思い出されました。感慨に耽るのに、まさに最適の場所だと思います。

紀三井寺から和歌の浦を望む



[第3番札所 粉河寺]
粉河寺山門 左甚五郎の虎の木彫

「粉河寺縁起」で名高い 第三番[粉河寺]
(山号)風猛山 (宗派)粉河観音宗 (本尊)千手千眼観音
(所在地)和歌山県粉河町2787
(巡礼歌)父母の恵みも深き粉河寺 仏の誓いたのもしの身や

★和歌山駅から和歌山線に乗って橋本方面に向かうと、やがて右手に紀ノ川が見えてきます。感動の一瞬です。間もなく粉河駅に到着、ここで下車します。駅から北へ舗装道路を真っ直ぐに行きますと、10分ほどで山門が正面に見えてきました。宝永3年に再建されたもので、立派な金剛力士像が安置されています。

★この寺は、宝亀3年(770)、娘を救ってくれた長者が建立したものといわれ、川の水が粉のように白いところから、この寺の名称が生まれたとのことです。また、本尊の霊験を記した「粉河寺縁起」は、鎌倉時代の作で、国宝に指定されています。

★山門から、多くのみやげ物店の前を通っていきますと、巨大な本堂に至ります。本当に堂々たるもので、庶民による長年の信仰の篤さが偲ばれるところです。境内は15,000坪に及ぶ広大さで、20棟ほどの建物が配置されています。不動堂、地蔵堂、羅漢堂、童男堂、念仏堂、太子堂、六角堂、千手堂等枚挙にいとまがありません。

粉河寺本堂 国指定名勝粉河寺庭園(桃山時代の石庭)
訪問時は補修工事中だったため同寺パンフレットから転借

★二回目に訪れた際には、本堂が改修工事のためテントで覆われ、残念でした。しかし、気分が壮大になる寺であり、閑散とした商店街を、意気揚々と駅に向かったのです。



[第4番札所 施福寺
施福寺入り口

不便な立地の山上の寺 第四番[施福寺]
(山号)槙尾山 (宗派)天台宗 (本尊)千手千眼観音
(所在地)大阪府和泉市槇尾山町136
(巡礼歌)深山路や桧原松原分けゆけば 巻の尾寺に駒ぞ勇める

★この寺は大変不便な立地にあり、苦労してやっと辿り着いた感じでしたので、本当に印象深いものがあります。一回目は、阪和線の和泉府中駅で降りてバスの時刻をみますと、1時間後でしたので、タクシーで山の麓まで行きました。二回目は、ちょうどバスの発車間際でしたので、バスを利用しました。

★バスとタクシーの最終地点に観光センターがあり、ここで身支度をして登り始めます。急坂には石ころが多く、大変歩きにくく、また危険でした。道幅は狭く、森林のため鬱蒼として暗いです。大日堂、愛染堂を過ぎますと、道は更に急になり、やがて右手に本堂が現れます。予想以上に小さく簡素なものでした。

施福寺本堂
境内からの景観

★この寺は、欽明天皇の頃、行満上人によって創建されたといわれますが、一時大寺院であったのが、信長の焼き討ち等で没落したようです。本尊の安置や行満上人にかかる伝説が各種残されています。

弘法大師剃髪所跡 弘法大師姿見の井戸

★本堂は、小さいながら落ち着いた雰囲気で、苦労して登ってきた甲斐があったと、自然に合掌してしまいます。弘法大師が剃髪したという聖地ですが、境内に休憩所があって、酒類も売っていて、見知らぬ巡礼者たちと酒を酌み交わし、大変楽しいひとときを持つことができました。



[第5番札所 葛井
葛井寺本堂
訪問時、補修工事中のため同寺発行の絵葉書から転借

駅のそばにある寺 第五番[葛井寺]
(山号)紫雲山 (宗派)真言宗御室派 (本尊)十一面千手千眼観音
(所在地)大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
(巡礼歌)まいるより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲

★この寺は、四番とは正反対の立地で、近鉄南大阪線の藤井寺駅近くの商店街の便利な場所にあります。大阪勤務時代から何回も訪れていますが、朱印帳や掛け軸を持って巡礼者の気持ちで訪問しますと、また違った目で、すべてが新しいもののように感じます。

★聖武天皇の勅願で神亀二年に創建されたといわれ、大変な古刹ですが、その後在原業平の造営や藤井安基の再建、更に後醍醐天皇や楠木正成・正行の帰依、豊臣秀頼や徳川家の外護等大変な歴史を踏んでおります。

葛井寺山門 工事中の本堂

★境内は地域の人々の憩いの場所となっていて、極めて庶民的な雰囲気ですが、一旦工事中の本堂に入ると、別世界のように森厳としています。国宝に指定されている本尊は、秘仏ながら特定の期間だけ公開されるのです。私は幸運にも、2回とも公開されており、じっくりと拝観することができました。

★ここの観音は実際に千本の手があり、唐招提寺の像とともに極めて貴重な脱活乾漆像で、美術面でも高く評価されています。肉付きが良く、若々しく、堂々としており、前にいるとある種の畏れも感じます。しかし、眼差しは優しく、多くの庶民の願いを聴き、苦悩を解消してくれるという実感を覚えるのです。兎に角すばらしい寺だと思います。




[第6番札所 壺阪寺(南法華寺)
壺阪寺山門

「壺坂霊験記」で有名 第六番[壺阪寺](南法華寺)
(山号)壺阪山 (宗派)真言宗豊山派 (本尊)千手千眼観音
(所在地)奈良県高取町壺阪3
(巡礼歌)岩をたて水をたたえて壺阪の 庭の砂も浄土なるらん

★この寺は、大宝三年(703)弁基上人がこの地に庵を結び、水晶の壺を愛していましたが、観音像を刻んで庵に収めたところ、元正天皇が諸堂を建てて観音像を安置したのが発端といわれています。

★その頃、眼病を救う観音としての信仰が芽生え、その後、明治16年に豐澤團平により「壺坂霊験記」が書き下ろされ、沢市、お里の愛情物語として、ひろく全国に知られるようになったものといわれます。

壺阪寺本堂
wikipediaより転借

★この寺を訪れたのは2回ですが、1回目は、近鉄壷坂駅から、ちょうど臨時バスの運行日だったので、バスで行くことができました。2回目は、仕方なくタクシーを利用しました。

★ここに来て驚いたのは、真実の仏教活動が精力的に行われていることでした。盲人のための諸施設、慈母園や大規模な花園、音楽公園等さまざまな施設が、広大な丘陵を活用して散在し、一大社会事業となっているのです。

お里・澤市の像 目薬の木
大観音像 三重塔

★目薬の木や大観音像、三重塔のほか数々の寺宝もあり、礼堂で合掌していると、胸がジンとなってくる感じがします。沢市、お里の像の前から、しばらく付近や遠方を眺め回し、満ち足りた気分でゆっくりと駅に戻ったのでした。




[第7番札所 岡寺(竜蓋寺)

飛鳥の中心にある 第七番[ 岡寺(竜蓋寺)]
(山号)東光山宗派)真言宗豊山派 (本尊)如意輪観音
(所在地)奈良県明日香村岡806
(巡礼歌)けさみればつゆ岡寺の庭の苔 さながら瑠璃の光なりけり

★この寺は、天智天皇が622年、岡本宮を法相宗の義淵に賜ったのが始まりといわれています。義淵が大蛇を蓋で封じ込めたことが寺の名称となったようです。飛鳥地方の多くの遺跡・史跡・文化財の中心近くという、すばらしい土地にこの寺は位置しています。

★一回目は、近鉄橿原神宮駅からバスを利用。二回目は、壺坂からタクシーを利用しました。寺の入り口付近には、もと旅館であったような古風な家並みが密集しています。緩やかな坂道を10分ばかり登っていきますと、仁王門に出ます。これを潜り石段を登りますと、本堂の前に出ます。さすがに、ここはいつも人が多く、巡礼者よりも観光客が主体のようです。

岡寺本堂 本堂

★本堂の内陣に入りますと、弘法大師が造ったといわれる塑像の如意輪観音が鎮座しています。高さが4メートル以上もある巨大な像で、穏やかな風貌に思わず頭が下がります。ここでは、像の回りを一巡することができ、本当に有難いことです。随時、寺僧が寺の沿革や寺宝について解説してくれます。何回きても飽きることのない、素晴らしい寺です。




[第8番札所 長谷寺]
長谷寺の参道

春の牡丹と桜で有名 第八番[長谷寺]
(山号)豊山 (宗派)真言宗豊山派 (本尊)十一面観音
(所在地)奈良県桜井市初瀬731
(巡礼歌)いく度も参る心は初瀬寺 山も誓ひも深き谷川

★聖武天皇の頃、徳道上人が小堂を建て、観音を安置したのがこの寺の始まりといわれます。一時興福寺の末寺となったり、数多くの火災に逢ったりして再建を繰り返し、今の本尊は天文7年(1538)、東大寺等の仏工によって刻まれたもののようです。この寺は、春の牡丹の名所として極めて有名であり、私も大阪勤務当時、数多く訪れていました。ただ、札所巡りという気持ちで訪れますと、また違う感触です。

長谷寺仁王門

★この地は、万葉集、源氏物語、枕草子等で「初瀬」としてとりあげられ、清流と墳墓の地、または行楽の地として、独特の雰囲気を持って推移してきました。近鉄長谷寺駅から、初瀬川に沿って、みやげ物店や旅館の立ち並ぶ通りを10分ほど行くと仁王門があり、堂塔七十余りを擁する大伽藍に入ります。四百近くの石段の回廊は比較的緩やかで、両側の季節毎の花々を鑑賞しながら、ゆっくりと登ることができます。牡丹のほか、躑躅、紅葉、桜も見事です。

本堂への回廊 長谷寺の伽藍
wikipediaより転借

★やがて、舞台造りの本堂に着きます。これは、徳川家光によって再建されたものですが、ここからの展望は雄大で、美しいものです。内陣の十一面観音は、当初徳道上人が刻ませたものといわれますが、今の像は天文7年(1538)に東大寺の仏工により再建されたものだそうです。左手に水瓶を持ち、右手に錫杖を持つ姿は、長谷寺系といわれ、坂東四番の鎌倉長谷観音と同じ木から刻まれたものです。高さ8メートルの巨大な像で、慈悲深いお顔を拝すると、自然に合掌してしまう雰囲気を持っています

本堂の舞台からの展望

★また、本堂舞台からの絵のように美しい景観の中に五重塔や諸堂が、丘陵をうまく利用して配置されているのが分かりす。何回来ても、素晴らしい寺だとしみじみ思います。




[第9番札所 興福寺南円堂]

興福寺の案内碑

興福寺の中にある 第九番[南円堂]
(山号)興福寺 (宗派)法相宗 (本尊)不空けん索観音
(所在地)奈良市登大路町48
(巡礼歌)春の日は南円堂にかがやきて 三笠の山に晴るるうす雲

★奈良公園の広大な敷地内に、囲いもなく、あたりの風景と溶け込んで、鹿ののんびりした群れも見られる興福寺。ここには、南円堂のほか、五重塔、三重塔、東金堂、北円堂、国宝館等が散在し、そこはかとない古都の風情を醸し出しています。

興福寺の東金堂と五重塔
wikipediaより転借

★興福寺の創建は、和銅三年、藤原不比等が飛鳥の厩坂寺を移したことによる、といわれています。藤原氏の進展に伴って、南都七大寺の一つとなり、寺域は現在の十倍、多くの高僧を輩出して、学問寺の務めも果たしてきました。その後、弘法大師の刻んだ不空けん索観音を、藤原冬嗣が興福寺の西南の地に安置し、ここが南円堂となったものといわれています。

南円堂
wikipediaより転借

★現在の堂は、寛保元年(1741)に再建された八角一重円堂で、堂内の本尊は高さ2メートル余り、鎌倉時代初期に運慶の父、康慶が彫刻したものです。

★この地は、過去何回となく訪れていますが、朱印帳と掛け軸を持って訪れますと、また違った感動を覚えます。一回目の時は、堂の改修工事中で本尊も拝めませんでしたが、二回目には立派に完成し、本尊の堂々たる風貌が一段と引き立っている感がしました。

南円堂の朱印帳写し

★広大な敷地内には、国宝の各種堂塔や国宝館、更には国立博物館があり、これらを見て回り鹿と戯れていますと、長い歴史を秘めた文化遺産と現在の風景が交じり合って、ほのぼのとした雰囲気に包まれ、立ち去りがたくなるのです。

第10番〜第14番札所
♪BGM:Chopin[Nocturne1]arranged by Yuuki Aizawa♪
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