いなほ随想特集

80歳のみそぎ
スリーデー・マーチで92キロ完歩の記


山本 浩(29政経)
文・写真

[プロローグ]

若かりし頃、自分の体力について俺は何処まで耐えられるのかパフォーマンスを試そうとしたり、意図しなくても結果としてそうなっていたことが幾つかあった。嵐の中、遮二無二頂上を極めたり、登って下りるまで絶対誰にも抜かれない歩き方をしたり、いわば若気の至りの無茶だったが、70歳を迎えるときには記念の意味もあって北アルプスの難コース、北穂から涸沢、奥穂、前穂の縦走をやった。

★その後、73歳で塩見岳に登って日本の3000m峰21座を完登してからは耐えて山に登るのではなく、楽しんで歩こうという気分になり、海外にも出て行ってエベレストをこの眼で眺めたり、モンブランの周りを歩いたりしていた。処が今年は80歳、何か記念碑的なものが欲しくなって、思い付いたのが東松山日本スリーデーマーチだった。

◆東松山スリーデー・マーチを傘寿の記念碑に

★東松山で毎年行われるスリーデイマーチのことは山の仲間から聞いており、一度参加してみたいと考えていたが、今年これをやって見たいと思ったのは山歩きでは1日10時間以上歩き続けた経験は何度かあるものの、平地で30kmを3日間も歩き続けた経験はないし、これなら80才でのパフォーマンステストとして恥ずかしくないだろうと考えたからだ。
若し足が壊れて失敗してもこれは間違いなくナイストライであるし、成功すれば立派な記念碑になる。

★参加申し込みをするにあたって50km、30km、20km、10km、5kmの5つの区分の内どれかを選ばねばならないが、20kmでは楽しめるだろうが挑戦することにならないし、50kmは私の歩行速度では時間的に無理な上、特別な訓練(例えば競歩など)を続けていなければ無理と分っていたので、多くの方々から初回からの30kmは止めた方が…の忠告を振り切って挑戦するしかなかった。

東秩父村の出発ゲート 太鼓の応援 出発前に夫人と

◆事前準は用意周到を心がけて

★そうはいっても未経験の世界へ挑む訳で、考えられる準備は色々と整えた。先ず、長時間、長距離ウオークに対応する為には当然ながら体調をベストコンディシヨンにすること、中でも足元をしっかり固めることは最も重要と考えた。5本指靴下と厚手の靴下を重ね履きして、靴は1年以上愛用のシリオのウオーキングシューズ、衣類は上下とも速乾性の下着と、上着は温度変化に対応できるよう薄手のものとレインウェアーを用意した。

★トレーニングとしては1ヶ月位前から15〜7kmを家内と3本歩き、1週間前を最後として小平グリーンロード21kmを歩いた、これは普段自転車でよく走るコースで玉川上水から野火止用水を折り返し、自転車道路で小金井公園に帰るが、途中焼却場の余熱利用の足湯があったり、美味いうなぎやがあったりで中々楽しかった。

◆80の峠を越えるための「みそぎ」

★1週間前からは疲労の蓄積を避けて力を蓄え、体調管理に勤めたが、気候の不安定さからか風邪の予兆を感ずるようになり、熱発インフルエンザともなれば元も子もないので、厚着をして晩酌は焼酎の極熱お湯割りで何とか乗り切れた。このことから弱気になった訳ではないが、思い当たったのは私の父も伯父も80歳で亡くなっており、わが家系にとって80年という年月は間違いなく厳しい峠ではないかということだった。さすれば、今回の挑戦はパフォーマンステストや記念碑である前に、わが身の不浄を払い清め80の峠を越えるための「みそぎ」であると思い到った。

[第33回日本スリーデーマーチ]

★主催は日本ウォーキング協会、埼玉県、東松山市、朝日新聞社で日本最大のウォーキングイベント、3日間の参加者は延10万人を越え、東松山市を中心とする比企丘陵一帯で開かれる。日本での発祥は1978年群馬県新町(現高崎市)だったが、宿泊施設の問題などから運営が困難となり1980年以降は現在の東松山市が開催地となって今日に到っている。

記念キャップ 3日間のチェックシート

★このウォーキングイベントは 国際的にはオランダ王国ナイメーヘン市が元祖といわれるが、1909年小規模なNATO兵士の行軍演習から始まってウォーキングファンの増加、健康ブームなどから今日では世界48カ国、参加者12万人、100年の歴史を持つ世界最大のウォーキング祭典に発展している。オランダ王立体育協会が主催する「インターナショナルフォーデイズマーチ」は毎年7月第3週に行われ、50km、40km、30kmの区分があるが、50才以下では50km以下の選択は認められないという厳しいもので、4日間全てのチェックポイントをクリアして与えられる完歩メダルは非常に価値あるものとされている。

◆国籍も多彩な参加者たち

★ナイメーヘン市はドイツ国境、ライン川に近く、その昔ローマ帝国とオスマントルコの国境の町で2005年には生誕2000年の祝賀行事があったというオランダでも最も古い町である。ちなみにナイメーヘンはニューマーケット(新しい市場)を意味している。尚、ウォーキングを通じた長年の交流によって1996年7月17日、東松山市はナイメーヘンと姉妹都市提携の調印を行っている。東松山の日本スリーデイマーチはナイメーヘンのオランダを初めとしてウォーキングの盛んなデンマーク、ドイツ、オーストリア、そして隣国の韓国からの参加者が多く、思い思いの服装で日本の秋を楽しみながら歩いている。

軍服姿で参加したドイツ兵士

[大会前日(11月4日)]

★宿泊は山の仲間池辺さんにお願いしてリコー東松山研修センターを今日から3泊予約して頂いた。今夜は池辺さんとそのお仲間中村さん、明日一日30kmを付き合ってくれる、山の会べるくらぶ事務局長西村さんと家内が一緒の泊まりになる。
中央会場は東武東上線東松山駅から歩いて10分程の松山第一小学校で午後5時までに行けば参加登録の受付をして貰える。

★私としては何よりも3日間30kmのコースマップを早く見たかった。それに前日午後2時から「初参加者の為のウオーキング教室」があるというので家内とこれに間に合うよう花小金井を出発した。中央会場に着いて参加登録を済ませウオーキング教室会場のステージまえに行ってみたが、何処も明日からの準備でごった返していて一向に始まる気配が無い。

◆怒鳴ってしまってごめんなさい

★その内予定時刻の2時を過ぎてしまったので大会役員らしいのを捕まえて聞いたが要領を得ない。 遂に頭にきて“責任者は誰か!”と怒鳴ったら当の講師が来たので又ガミガミやってやっと始まった。話の中味は分り易く納得性があって参加者と一緒に歩いて見せたり充実したものだったので、初めに怒鳴ったことが恥ずかしくなり終わってから先生に謝りに行った。この先生は日本ウオーキング協会専門講師の奥野清歩さんで名前からして歩きのスペシヤリスト、大会3日間中コースの各所でお目にかかった。

★大会が斡旋する宿舎は3箇所あって、期間中、会場との間をそれぞれ送迎バスが運行している。 中でもリコー東松山研修センターは会場から最も近く、バスで約10分程の距離である。今回は万全な体調で臨む為、アルコール禁止にしようかと思ったが、10年来この大会に参加している池辺さんの部屋へ話を聞きに行ったらビールで酒盛りの最中、嫌いな訳ではなし少しだけお付き合いすることになってしまった。この施設は長年スリーデイマーチの応援をしてきているからか食事の内容もよく従業員の応対も礼儀正しい。1部屋2ベッドの各室も機能的だし広々した浴場がなんともゆったりしていてくつろげる。そして何よりも料金が安いのは助かる。

[初日(11月5日)]

★20kmコースの池辺さん達はゆっくりだが我等3人は5時起床、6時朝食バイキング、6時45分のバスで出発、7時前に会場到着、未だ参加登録の済んでいなかった西村さんの手続きを済ませ、今日だけ参加の西村さんと家内の手荷物を預けて東秩父行きのバスを待つ。各コースとも全てこの東松山中央会場を出発して又此処へ夕方5時までに戻ってくる(5時を過ぎれば失格)ことになっているが、今回30kmコースは通常のコースに加えて、新たに東秩父村和紙の里までバスで行って直に東松山へ帰ってくるコースが新設された。

1日目のコースマップ

★我等はこの新設コースを選んだのだが、問題は中央会場をスタートする組は出発式を終えて7時から出発できる(50kmのみ6時)のに東秩父組は7時20分のバスで現地に向かい、出発式後のスタートは悪くすると9時近くなる。ゴールリミットは全て午後5時となっているがこのハンディキャップを考えれば、万一タイムオーバーがあっても救済しても良いではないかと大会役員に迫ったが認めてもらえなかった。実際問題として9時スタートとなれば5時まで8時間、実歩行時間に加えて休憩、信号待ち、トラブル等全ての要素を含んで時速4kmを保ち続けなければゴールインできないことになる。

◆いよいよ私の「みそぎ」がはじまった

★東秩父村は今や埼玉県唯一の「村」だそうで、村山大会会長の御挨拶の後、村長さんの御挨拶もあって、8時45分、いよいよ私の「みそぎ」が始まった。今日のコースは和紙の紙漉き民家(復元)のある東秩父から槻川に沿って東進、先ず小川の埼玉伝統工芸会館(12km)を目指す。 やはり遅いスタートの意識があるのか皆のスピードはやけに速い。

あぜ道を行く参加者 各所にある六地蔵
道の駅・埼玉伝統工芸会館 槻川の風景

★この伝統工芸会館はチェックポイントになっていて通常の30kmと50kmの合流点にもなっている。 我等は11時過ぎに到着、一寸早いがこの先適当な所が無いので昼食を取る事にして300円也の武州うどんを食べていたら、朝日新聞の記者の取材を受けることになってしまった。参加の動機や過去の経験、このコースを歩いての感想など色々喋ったが、明日の埼玉版に載せると云い置いて去っていった。

◆ご冥福を祈りつつ

★コースは更に槻川に沿って続き、京都嵐山の風景に似ていることから武蔵嵐山とよばれる森林帯に差し掛かった処、一人の男性が倒れていて救護隊の心臓マッサージを受けていた。止まらず進めの指示でそのまま歩を進めたが、果たして助かったか大変気になりながらの後半だった。翌日の朝日新聞埼玉版で倒れていたのは上尾の68歳の男性で東松山の病院に運ばれたが、虚血性心疾患による死亡が確認されたとあった。同じ30kmコースを歩いた一人として冥福を祈りたい。尚、小生の取材記事も別欄に小さく載せられていました。

★この後二瀬橋で都幾川にさしかかると、やがて畠山重忠像のある比企城跡群、重忠の居館菅谷館跡に到着する。13時28分、スタートから21km地点、残すところ9kmである。近くの国立女性教育会館(ヌエック)は3つの宿舎の一つでもあるが、此処でトイレを借りたら脇にウォータークーラーがあって冷たい水を存分に飲めた。この辺りからさすがに足は重くなってくるが、だらだら歩きは返って疲れるとの奥野講師の言葉を思い出し、手を大きく振ってリズムを付けて歩き続ける。

◆疲れながらも第1日をゴールイン

★24km地点、原爆の図のある丸木美術館前でりんごジュースを買って飲みゴールを目指す。 唐子中央公園で後5km、BOSCHの工場の塀がやけに長い、東武東上線の線路を潜って15時47分ゴールイン、かなりの急ぎ歩きでさすがに疲れた。西村さんと家内にはご苦労様を云って別れ、16時30分のバスで宿舎へ帰ったが途中未だ歩き続けている人達が大勢いてさすがに大きな大会を感じさせた。

★部屋で落ち着いた後、風呂に入り痛みが残っている足裏や腿の張りをゆっくり揉み解す。明日の為の余力を考える余裕等全くなしで、これは毎日その日に全力を振り絞るしかないと思った。池辺さんの同僚はかっての朝鮮京城中学の同級生で明日は長棟さん青野さんが参加する。家内の亡くなった母親が京城第一女学校と話したら皆大変懐かしがっていた。夕食のときは例によって少しだけアルコール類を頂き、後は昨晩同様別室でカラオケ、明日の完歩を心に誓って眠りに付いた。

[2日目(11月6日)]

★5時起床、先ず足と靴下のすべりを良くする薬液ディクトンをしっかり足に刷り込んでから朝食、昨日より一つ早い6時15分のバスで出発、走り出して直ぐ東の空から真っ赤な旭日が上がってきた。今日も一日良い天気に恵まれることだろう。今日は出発式の後7時3分にスタートを切れたので気分的に余裕がある。 足の状態もそんなに悪くは無い。

◆{80歳、目指せ30×3」のゼッケンに注目集まる

★大会参加者は皆背中にゼッケンを付けることになっていて、これには氏名、3日間それぞれ目標とするキロ数、それにアッピールしたい一言メッセージを書くようになっている。 私は目標は3日間とも30km、それにメッセージは「80才、目指せ30k×3」と書いてリュックに貼り付けた。これは私が思った以上に注目を集めたようで、多くの参加者から歩きながら、感心する言葉や激励する言葉や中にはそのゼッケンを写真に撮らせて欲しいと頼んでくる人もいた。

注目を集めた山本さんのゼッケン

★今日のコースは吉見百穴・森林公園ルートで先ず会場から南下して滑川を渡り松山城跡と吉見百穴を目指す。この地は元々は松山であり市制施行の際、松山で申請したが既に愛媛県の松山があり、止むを得ず東松山となったそうである。此処から更に南進して大沼、天神沼を過ぎ、鎌倉時代源範頼の居館跡、息障院7km地点から反転して坂東十一番札所吉見観音9km地点を目指す。直ぐ北にある八丁池の湖岸を半周して山地へ入ると古代人の墓所という黒岩横穴群の奇観を目にすることが出来た。

スタート直後に下沼公園を通過 松山城址
白鳥&わんチャン 黒岩横穴墓群

◆新高梨は新潟+高知でネーミング?

★50kmコースと袂を分けて西進、滑川に出て北上、10時55分チェックポイントの平野市民活動センター16km地点で東平梨組合による新高梨の接待を受ける。 新高とは新潟と高知で開発したことによるネーミングと聞いたが果たして本当だろうか?

★私の前をぐんぐん歩く如何にも健脚の青年がいてゼッケンに50km、30km、50kmと2日目だけが30kmになっている。 なんで今日だけ30kmかと聞いたら梨とこのあとお餅の接待があるのは30kmだけで50kmは何も無い、だから今日は何も食べ物を持たずに歩いているとは恐れ入りました。

平野市民活動センターで梨の接待を受ける参加者 オランダ風車(大岡市民活動センターで)
オランダ風の建物(大岡市民活動センターで) 森林公園中央口

★梨を一杯ご馳走になり大谷瓦窯跡を経て約1時間歩くとオランダ風車が建っていて大根おろしのからみ餅の接待がある大岡市民活動センター20km地点へ着く。

★実は今日のウオークは気分的に余裕があったし色々と声を掛けてくれた人の中でも55歳の夫を亡くして以来、専ら登山や旅行で毎日を過ごしているという焼津の松村利子さんとはかなりの区間一緒に話をしながら歩いていた。この方は元マグロ漁船の船主だったが船を売り払って今は息子さん達がパン屋をやっているとのことだったが、驚いたことに海外を含めて私が行った所には殆んど足を運んでいるし、今回初めて知ったオランダのナイメーヘンも良い所だから是非行って御覧なさいと勧められる始末、ご自分の興味に従ってためらわずそれを実現する処にいたく感心した。

◆「ハトの会」があると聞いて

★今日のゴールインタイムについては会場近くの総合会館で2時から3時まで「ハトの会」総会が開かれるが、これは八十即ち傘寿を迎えた人達が日本ウオーキング協会内に作っている団体と聞いているので本当は来週の11日にならないと80歳の資格はないのだが、兎も角顔を出してみようと思っていた。

★そうなると松村さんとのんびりお喋りしながらというわけにも行かず、止むを得ず一人でスピードアップ、川越ゴルフ場と東松山ゴルフ場の間を抜けて比丘尼山を通って森林公園中央口23km地点、当初考えていた公園内での休憩も止めて公園南口到着が13時25分、よく冷えた冷麦を頂いて森林公園駅へ向かうが、何と公園南口から駅までの距離が2.5km、これでは駅名詐称ではないかと思ったりした。後で聞いてみたら公園に行くには東上線は使わずバスで行くのだそうな。

◆滑り込みで入会が認められた 

★駅から東上線に沿って南下、踏み切りを越えるのに渋滞して時間を食ったが、会場到着は14時45分、ハトの会はほぼ終了していたし80才に数日足りなかったが入会を認めてもらえた。急ぎ足はやはり足に来て右足裏に豆が出来て水が溜まっていた。この後やはり置いてきた松村さんのことが気になってゲートに行ってみたら偶然にも会うことが出来てお互いメールアドレスの交換をして別れる。

★会場内には様々のブースが立ち並んでいて食べ物飲み物は勿論、靴などのウオーキンググッズも割安で販売している。中にオーストラリアのブースがあってビクトリア州のビールやマンゴージュースなどを売っていたので寄って見たら、私が一昨年歩いたメルボルン西方の海岸、グレートオーシャンロードの宣伝を目的と知って懐かしかった。

◆急遽ロングウォーク対応の靴を購入

★今日2日目の30kmを歩いてみて、20km以上のロングウオークは距離の違いに加えて質が変ってくるように思えた。 つまり足裏にかかる抵抗は通常のウオーキングシューズでは支えきれず、ロングウオーク対応の靴でなければ駄目と判ったので、早速ムーンスターのワールドマーチを購入した。

92kmを歩いたシリオ(左)と2日目に急遽
購入したロングウォーク用ワールドマーチ

★宿舎に帰って明日最終日の為の準備を整え、入浴して身体をほぐす。 当然昨日以上の疲れは溜まっているが明日は開き直ってやるしかない。夕食時のビールは何時ものとおりだったが今夜は食後のカラオケ無し、部屋に帰ってソウイングキットの針で豆の水を抜いて寝た。

[最終日(11月7日)]

★今日は立冬、5時起床、ディクトンで足の手入れをして5時半に朝食、従業員の皆さんにお礼の挨拶をして6時5分チェックアウト、6時15分のバスでリコー東松山研修センターに別れを告げる。 雲が多く昨日のような旭日は見られなかったが雨の心配は先ずないだろう。 会場に着いてから靴など多くなった持ち帰りの荷物を預けて出発式を待つ。

最終日の出発式 15回目の参加と言う猛者(バッジに注目)

★スタートは昨日に同じ7時3分、コースは東松山南部を周回する都幾川・千年谷公園ルート、先ず初日通過した唐子(カラコ)中央公園5km地点からさらに南下して、おとうか橋(稲荷橋)で都幾川を渡り、高本稲荷社から高本峠への急坂を登る。歩幅を狭めて足送りを早くする登山スタイルで上りきったら、「速いですね」と感心されてしまった。

都幾川に沿って川辺を辿る 正法寺への厳しい石段を登る 見晴らしの丘

◆大東文化大学の脇を通って階段を上りつめると坂東十番札所岩殿観音正法寺9km地点、黄葉の大銀杏の下で一休みしてから出発、見晴らしの丘からの展望を楽しんで鳩山町へ下りる、農村公園を脇に見ながら10時34分チェックポイント鳩山町中央公民館15km地点到着、鳩山は国分寺瓦等の瓦窯跡が多いと聞くが見当たらない。此処から反転、暫く鳩川に沿って北上し、東京電機大学の方に入っていくが、この長い上り坂の銀杏並木は素晴らしい。

鳩山町農林公園 鳩川に沿って進む参加者 東京電機大学への公孫樹の並木

★大学正門から下った先にはこのコース最大のチャームポイント、豚汁の接待がある千年谷公園が待っている。豚汁に気もそぞろだった訳ではないが、疲れが溜まって足が上がらなくなっていた様で、公園入り口の一寸した段差に足を引っ掛けて転倒、右肩を強打してしまった。痛み度合いからひょっとしたら骨にひび位入ったかもしれないと思ったが歩けない訳ではない。

千人谷でくつろぐ参加者 カカシロードを行く

★公園内で100円のチャリティをして芝生に座り込んで名物の豚汁を食べたが、不覚の転倒を思うと美味しい豚汁も100%ハッピイとは行かなかった。ゴールまで残すところ10km、関越自動車道を跨ぎ、高架になっている東上線高坂駅を越えて畑地の中を行くと国道407号バイパス、新東松山橋で都幾川を渡るとあと5km、いよいよゴールは近い。  国道をはずれると、野本の人達手作りのカカシが立ち並ぶカカシロードが眼を楽しませてくれる。

◆最終日の市内はお祭り騒ぎで大渋滞

★東松山IC取り付け道路の下をくぐって東上線と併走、13時57分東松山駅前、此処まで来るともう帰り着いたようなものだが、各コースから帰ってくる参加者が一斉に集まってくるし、スリーデイマーチ最終日とあって東松山市内はお祭り騒ぎ、ブラスバンドの一隊や盆踊り、お祭り囃子で大渋滞、前を行く参加者のゼッケンを見ながら歩いていたら50kmの表示の女性がいたので、50kmはヘッチャラでしたか?と聞いたら、そんなことありませんが何とか頑張りました、処でどちらから?と聞き返され、小平からというと武蔵野美術に通っていたのであの辺は割りに知っています、来年又お会いしましょうと言って去っていった。

◆目標達成、ケガも勲章に

★そういえば来年のことは全く考えていなかったが先ずはゴールインが先決、14時10分中央会場のゲートを潜り、3日間合計92kmの完歩証(DIPLOMA)と記念バッジを受取ったときは感激、これで俺が80歳を迎えるみそぎは終わった、久し振りの達成感に浸れた。大混雑の出店へ行って生ビールを飲みながら家内へ目標達成の電話を入れる、この分なら夕方までに家に帰り着けそうだ。

完歩証 第1回完歩メダルとハトの会会員メダル

★翌日病院でレントゲンを撮って貰ったら一応骨に異常はなさそう、唯当分ゴルフは無理とのこと、おこがましくも80にもなって30kmを3日間も歩こうとしたのだから、何も無かったでは可愛げもない、これはこの度の勲章と思うことにしよう。(傘寿を迎えて、山本 浩 記)

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