いなほ随想特集

☆2010年の秋に傘寿を迎える髭の山男、山本浩さん(29政経)のタフネスぶりは、当小平稲門会ホームページ登載の
3部作「ヒマラヤ街道トレッキング」(77歳)、「モンブラン山岳紀行」(78歳)、「厳冬の雪の上高地を歩く」(79歳)でご案
内の通りです。

☆日本山岳会古参会員で早稲田大学山岳部OBの専門家も感嘆する体力維持、技術、山岳知識、詳細な行動記録に基
づいた達意の寄稿文の背後には、周到な準備、体力づくりの不断の努力がありました。それを証明するレポートが山本さ
んから届いたので、「山本浩山岳紀行ページ」第4弾としてご紹介します。

備えなければ怖ろしい高山病
~わが体験録~


2010.4.8.撮影
山本浩(29政経)
文・写真

[昭和25年、夏休みの登山で初めて高山病に接した]

★最近、登山だけでなく普通の海外旅行などでも4000m以上の高所に足を運ぶことがあるようになり、俄かに高度障害への対策が報じられるようになってきた。数年前まではヒマラヤのカラパタール、ゴーキョピーク、アフリカのキリマンジャロ、中国の四姑娘山などを目指す人は出発の直近に必ず富士山など3000mクラスの山に登って、身体を高度順応させてから出かけたものである。然し今では低酸素室なるものが出来てわざわざ高山に登ってこなくても手軽に高度順応を身につけることが出来るようになってきた。このことはあとで述べるとして、私が初めて高山病に接したのは昭和25年、田舎から東京へ出てきた学生の頃であった。 

◆雨の中を友人2人と白根三山縦走へ

★夏休みのある日、怖いもの知らずで友人2人と白根三山縦走を目指した。動機は真に単純、富士山の次に高い山に登ってみようということである。当時は大樺沢へのバスなぞはなく、芦安の部落から歩いて夜叉神峠を越え、無人の荒川小屋に泊まって、雨降りしきる中、池山吊り尾根を登った。

白根三山


★行けども行けども煙雨の中にピークが次々と現れる。おどろおどろしく木の枝から垂れ下がるサルオガセを見たのは多分この時が生まれて初めてだったろう。北岳頂上直下の石室へはやっとの思いで転がり込んだ。身体は消耗しきっているが、とにかく火をおこして暖を取らねばならない。石室の周りから枯れ木を集めてきて火を焚いたが、今から思うとどうやってあんなに濡れた木をちゃんと燃やせたのか不思議でならない。 

サルオガセ(猿尾枷、猿麻?)
ウメノキゴケ科サルオガセ属
落葉広葉樹に寄生する地衣類


★夜になって風雨は益々強くなる。 持ってきた毛布に包まって寝ようとするが中々寝付けない。そのうち吹き荒ぶ風の音の中に助けを求める人の声を聞いた様な気がした。はっとして聞き耳を立てる。やはり人の声のようだ。たまらず懐中電灯を持って外へ出て、ライトを何度も振り回したが何の応答もない。結局まんじりともせず朝を迎えたが、北岳から間ノ岳への稜線を歩いている時にも何度か後ろからオーイと声を掛けられたような気がしたから、これは私が初めて経験した高度障害の一種、幻聴だったのだろう。

◆高山病の本当の怖ろしさを知る

★高山病の本当の恐ろしさを知ったのはこの後の事だった。やがて間ノ岳にさしかかる標高3100m付近で同行の友人の一人が動けなくなり、リュックを担いでやって休み休み歩を進めた。そのうち彼はパッタリ止まる。 見ると力なく瞳孔は開いて呼びかけにも全く反応しない。 そうは言ってもビバーク出来る装備も持っていないので日があるうちに何としても農鳥岳を越えて大門沢の小屋まで辿り着かねばならない。こっちも重い彼の身体を担いでいける力は無し、やむを得ず突き飛ばす、止まると又突き飛ばす。

★大門沢下降点からは転がり落ちるようにして小屋に着いた。小屋といっても全て無人、しかも我等三人だけだから食事の用意も当然自分でやらねばならない。処が彼は食欲全く無し、無理に食べさせるが皆吐いてしまう。此処から登りはもうないにしても何もエネルギー補給が出来なければバテてしまうのは明らかだ。その時、私が当時の米軍の緊急食料(エマージェンシーレイション)を持っていたのを思い出した。 

★ドロップス状の固形食糧だが、これだけは何とか彼の胃が受け入れてくれた。大門沢の長い下りも楽ではなかったが、やっと里に出て4日振りに人に出会った時、これで助かったと思った。高山病の最高の治療薬は平地に下りることだと言うが、西山温泉に泊まって富士川に出る頃には、彼の体調はすっかり元に戻っていた。この時、山中で彼を乱暴に扱ったことの詫びを言うと、なんと彼は全く記憶しておらず、きょとんとしていたのにはこちらが唖然としてしまった。今にして思えば彼は重篤には到らなかったが危険な脳浮腫を発症していたのだろう。

★その後、会社をリタイヤして再び山に目覚め、年間のスケジュールが山優先の生活になっている現在に到っても、これほど鮮烈な高山病を身近に見た経験はない。ただ、この少し前に富士登山をした際、とにかくゆっくり歩くこと、苦しくなったら深呼吸を繰り返すことを注意されたが、後から来た若者が「お先に失礼!」といって勢いよく追い抜いていったものの、七合目で青くなって倒れていたのを思い出す。

焼津付近から駿河湾越しに富士山を望む


◆高山病の知識を持つことが高山登山者に不可欠

★高山病は昔は山酔いといった現象で、例えば3600mの高度で空気中の酸素濃度が三分の二に減少するなどの酸素不足によって起こる病気であるが、年齢、性別、身体能力には関係なく、個人差が大きく、因果関係がはっきりしない真に厄介な病気である。とは言っても、気圧の低下に対して起こる身体の生活反応であるから、寧ろ起こるべくして起こっているのであり、病気とは言えないのかも知れない。然しながらこの為、死に到ることもありうるとなれば高山病とは何か、どのような時に起こりやすいのか、どうすれば防げるのか等を知っておくことは高い山を目指す人にとって極めて重要なことである。 

★普段からヒマラヤやアンデスに住んでいる高地民族と違って平地に住む我々は高い所へ行くと主に低酸素のために心肺機能が低下して初期症状としては倦怠感、手足のむくみ、頭痛、吐き気、咳、目眩など二日酔いに似た症状に襲われるが、発症の程度は人によっても、その時の体調によっても違ってくる。高い所といっても何メートルからと決まっているわけではなく極端には2000m程度でも死に到る重症の例もある。 

◆治療の基本は一刻も早く高度を下げることに尽きる

★高山病の危険な状態は一つは「高地肺水腫」で咳と共に呼吸音がひどくなり桃色の泡状痰が出て肺に水がたまり呼吸が出来なくなる(HAPE)。もう一つは「高地脳浮腫」で意識障害(表情がうつろ、失禁)縦列歩行(タンデムテスト)での運動失調(ふらふら)が見られるようになる(HACE)。三つ目の症状は「高度網膜出血」(眼底出血)で視野が狭くなり目が見えなくなる。そして、これ等は単独であったり複合して発症したりする、このような症状が出た場合にこれを軽く考えたり我慢したりすることは禁物で、ともかく早く高度の低い地点に下ろすことが絶対に必要である。

★ただ当面の対策として考えられたものも幾つかある。例えば携帯酸素(5リットル、1回2秒、50~60回使用可能)は楽にはなるが切れると元に戻ってしまう。ガモウバッグ(携帯型加圧装置)空気を入れて使用するチェンバーで1000~2000m高度を落としたと同じ効果を得られるが、レスキューヘリが来るまでの繋ぎとして使われるのが一般的である。つまり高山病治療の基本は高度を早く下げることに尽きる。

ガモウバッグ


★予防治療の効果が期待できる薬も幾つか有るが、一番使いやすいとされているのはアセタゾラミド(商品名ダイアモックス)で目安として3000mに足を踏み入れる前日の夜から3000m以上に滞在期間中、125mg又は250mgを1日2回服用すれば血液が酸性となって呼吸が刺激され高地順応を促すとされている。ただこの薬は本来緑内障の薬で、高山病の薬という訳ではなく利尿作用や血圧降下、痺れ等の副作用を招くことがあるので取得には医師の処方が必要となる。

◆私のやった高山病対策

★しからばこれ等起こってしまった後の臨床的措置ではなく、どうすれば高山病にかかりにくいか、懸からずに済むか?最大の基本は身体条件をベストに保って臨むことであるが、これから先は昨年秋、私がエベレスト街道を歩くに際して実際にどんなことをやったかに即して進めることにする。

★先にも触れたように高山病は標高何メートルで起こると決まっていない。私自身、ボルネオ島のキナバル山(4090m)に登ったときは、一寸した食欲減退が一時的にはあったもののそれらしい感覚は殆んどなかった。一説によるとキナバル山は4000m以上の山では世界で最も登りやすい山とも言われている。 その逆にエベレスト街道は世界で最も高山病が出易い地域で、毎年数名の死者が出るし、途中で下へ降ろされる登山者はあとを絶たないということである。

★こうなると何もやらずにやっぱり駄目だったでは悔しいから、先ずは出発前に高度順応を身につけることを考えた。10月ともなると日本で3000m峰に登ることは降雪の可能性もあり中々困難を伴う。日程、費用のこともあり、最近瑞穂の好日山荘に出来た低酸素室で1.5時間のトレーニングを3日間やることにした。

◆低酸素室で行った3日間のトレーニング

★パルスオキシメーターで脈拍と血中酸素飽和度を測り、入室後空気中の酸素濃度を徐々に下げていく。初日は通常大気中酸素濃度21%を13.2%(富士山頂3800m相当)、2日目3日目は12%(4000m相当)まで下げて歩行運動をやり、脈拍、血中酸素飽和度を測定する。登山時に見合う歩行を続けた後で脈拍100前後、酸素飽和度は60%をきらなければ問題ない。

パルスオキシメーター 歩行訓練用具
酸素濃度の測定


★同行のメンバーの中には代々木にある低酸素室、三浦ベースキャンプでのトレーニングだけでなく精密な診断を受けたり、やはり山に登っておいたほうが良いと北岳や鳳凰三山に登った人もいた。いずれにしてもこれ等は直近(出来れば7日~10日以内)でなければ効果はあまり期待できない。ダイアモックスは本来緑内障の薬なのでかかりつけの目医者で処方してもらって入手、その他に「食べる酸素」という酸素の運び役ヘモグロビンと酸素を結び易くするもので、多元素ミネラル、サンゴカルシュウム、プロポリスなどを含むサプリメントを持参することにした。 

★また私の場合、長期の山行ではしばしばお腹の調子が悪くなることがあるので、この時の常備薬「征露丸」は必携だった。薬で問題だったのは睡眠導入剤の使用禁止で、登山前夜は良く寝ておきたいのにこれが使えず辛い思いをした人が何人かいた。禁止事項としてはもう一つ、登山開始前夜から下山までのアルコール禁止、低山では大したことなくても高山ではアルコールの影響度は非常に大きく、このために折角の目的を放棄せざるを得なかった人は大変多い。然し、無事下山した時に飲む酒の味は目的達成の喜びと禁酒からの開放と併せて格別のものがあった。

◆高所でのトレッキングは「ビスターリ、ビスターリ(ゆっくり、ゆっくり)」

★トレッキングを開始する地点がいきなり可なりの高度である場合(我等の出発点ルクラは2800m)は、直ぐに歩き出すことを避け、無理にならない程度にぶらぶら歩きを1、2時間して身体を慣らしたほうが良い。高山病の症状は高地に着いていきなりは発症せず6時間くらい経ってから出ることが多く、到着後直ぐ寝るのは危険で、疲れていても暫くは起きてぶらぶらした方が良い。

★寝るとどうしても呼吸が浅くなり酸素の摂取量が減り呼吸中枢の働きが低下し更に呼吸量が減るという悪循環に陥りやすい。3000mを越してから登る標高差は1日400m程度にした方が良い。4000mになると大気中の酸素は半減する。高地では非常に水分を必要とするので、色々な機会を捕まえて少しずつこまめに補給すること、1日の必要量は4~6リットルと言われている。発汗に対応し血液の粘りを防ぎ代謝を促進する必要上スポーツドリンク等は効果がある。 

★歩き方は周りを気にせずゆっくり同じペースで歩くこと、グループに遅れたからといって急いで追いつこうとしてはいけない。我等のガイドはビスターリ、ビスターリ(ゆっくり、ゆっくり)と言って先導してくれた。それでもきつくなってきたら立ち止まって大きく深呼吸を4,5回すること、ハーハーやる荒い呼吸では肺の中に不要な残気が留まってしまう。この時注意することは意識して吐くことで吸うことではない。 力いっぱい吐けば自然に吸うことが出来る。ガイドの時速は上りでは2km位、20分に1度5分の立ち休みのペースを続けてくれた。 

◆要諦は年齢、体力を自覚し、無理をせず、準備をきちんと行うこと

★歩行中の体温は気にならないが、休むと急に冷えてくる。 高度が100m上がれば温度は0.6度下がるし秒速1mの風が吹けば体感温度は1度下がる。重ね着(レイヤード)をして脱着をこまめにし、身体の冷えを防がねばならない。ホカロンは結構役に立った。高地であるが故の特別の対応は当然やらねばならないが、基本は飲食、睡眠等を適正に保って良い体調を維持し続けることである。

タンポチェリー(4198m)


★平均年齢が71歳を越える我がグループがエベレスト街道のタンボチェ・リー(4198m)に登って無事帰国できたのはツアーリーダーやガイドの適切な判断、対応に負うところが大きかったが、メンバーのそれぞれが自分の年齢、体力を自覚して無理をせずそれなりの準備をきちんとやったことが一番だったと思っている。2009年2月2日 山本 記)

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