東日本大震災に寄せて

3.11.そのとき、わたしは

犠牲者鎮魂の山手線一周巡礼ウォーキング


山本浩(29政経)
文・写真

◆そのとき、私は房総のゴルフ場にいた

★3月11日、14時46分、その大変な瞬間、私は房総の鶴舞カントリー倶楽部(千葉県市原市)東コース9番ホールのティーグランドにいた。突然立っていられないほどの激しい揺れにこの地震はただ事ではないとの予感が走る。

鶴舞カントリー倶楽部

★クラブハウスに帰ってみると確たる情報ではないが仙台は壊滅状態らしいという。舞浜の友人の車で早々に帰途についた。情報を得たくてカーラジオを付けっ放しにして走る。東京方面幹線道路に入ると直ぐに渋滞が始まる。高速道路が全てクローズの所為らしい。

◆臨海コンビナートから上がる大火柱

★暫く行くと臨海コンビナートの一角から大火柱が(後の報道で800m)物凄い勢いで立ち上っている。この後10日間燃え続けたコスモ石油の火災だった。近づくのは危険なので山側の迂回路をとったが,同じ思いの車が道路を埋め尽くし、にっちもさっちも動かない。


★クラブハウスを出たのが午後4時半、舞浜の友人宅まではゆっくりでも1時間半で着く距離なのにこの分では今日中に帰れれば良い方だ、それなら若し途中でガス欠にでもなったら大変と念のため給油をしたがこれはやはり大正解だった。車中の3人はそれぞれ自宅に携帯で電話するが中々繋がらない。それでも他にやることはないのでしつこくやっているうちに何とか繋がって家族の無事だけは確認できた。

◆車は1時間に100mの大渋滞

★カーラジオは「都心の通勤者は出来るだけ帰宅を諦めて各所に準備中の最寄の施設で仮泊するように」と呼びかけている。電車は全て止まり高速道路は封鎖、所によって断水停電がある、車は1時間に100mも進むかどうかといった状態が何時までも続く、夜が更け日付が変り白々と明ける頃にはガス欠の車や眠気に耐え切れなくなった運転者の車が何台も止まっていて更に進行を妨げる。


★やがて日が上りやっとの思いで舞浜に入ると、道路が激しく波打っていて各所から噴出した泥が溜まっている。初めて見る液状化現象で周辺一帯は断水していて下水道も使えない状態だ。

◆前夜足止めのディズニーランドから駅へ向かう切れ目ない若者達の列

★友人宅到着は朝8時半。16時間ぶっ通しで運転を続けてくれた友人に心からご苦労様を言った。朝食をご馳走になって一休みしていたが私鉄各線が徐々に動き始めているのに京葉線は全くその気配なし、東西線が動いたとの情報で友人の夫人に(実は3人で一寸ビールを頂いたので)浦安駅まで送ってもらったが、途中ディズニーランドから昨日帰れなかった若者達が切れ目なく駅へ向かって歩いていた。

★それにしても公共のために最も早く立ち上がるべきJRが私鉄の後塵を拝すとは何たることか、高速道路のネガティブな対応と共に全く腹立たしかった。寿司詰めの満員電車で高田の馬場経由花小金井、我が家に帰り着いた時は既にお昼を回っていた。

◆震災直後の社会現象の体験

★今回の大震災の全貌は、1ヶ月を経て未だに明らかでない。マグニチュード9.0という類例のない大地震、東北沿岸一帯を襲った10mを越える大津波、福島第一原発の放射能漏洩、これ等複合災害による死者行方不明者は3万人になろうとし、避難を余儀なくされている人達は15万人に達している。これは恐らく有史以来の日本列島が初めて経験した大震災で、500kmにも及ぶ地殻の破断は日本列島沈没をすら予感させる。

★あれから様々な社会現象を体験した。先ずミネラルウオーターが売り場の棚から姿を消したのは頷けるとしても、何故か大変だとなるとトイレットペーパーが一挙になくなってしまう。次いで米がパンが即席ラーメンが卵がヨーグルトが姿を消した。日頃お世話になることが少ないので実感がないが、多品目の薬が払底して医療現場は困窮しているらしい。

★さすがに多くの日用品は一過性で殆んどの物は回復しているが、ヨーグルトに関しては未だにやっと見つけてもお一人様1個限りである。これは電力供給力が激減した東京電力の計画停電と称する無計画停電のあおりを食らって生産ラインを稼動しようがないためらしいが、毎朝の食事に必ず食べていた我が家にあっても小さな被害を蒙っている。

★震災以来テレビに釘付けになることが多い、罹災地の悲惨な状況を見るにつけ、ただただ気の毒に思うばかりでさしたることは何も出来ない自分をもどかしく思う。

◆この機会に反省することはたくさんある

★日本全体が悲しみに包まれていると言っても過言ではない状況の中で、楽しかるべき事は行うはおろか語ることさえはばかられる日が続いた。私のスケジュールも好きな山登り、ゴルフ、ウオーキング、諸会合、お花見と10幾つかの中止が次々と決められた。

★多くの同胞が嘆き苦しんでいることを思えば当然のことであり、この機会に反省することは沢山あるように思う。けばけばしい電飾広告や不必要なライトアップは前から苦々しく思っていたし、テレビも馬鹿馬鹿しいおふざけ番組や再放映、繰り返す番組み広告等は止めて午前零時までで充分。デパートも週に1日は休みを取り、コンビにも24時間営業や盆正月休み無しはやり過ぎだ、この際時間を10年くらい巻き戻して考えてみては如何だろう。

★然し1ヶ月近くなる頃から世の中の論調は悲しみに暮れて此の儘沈滞してしまっては復興の活力も無くなってしまう、出来るだけ早く通常の生活パターンを取り戻すことこそが今の日本に必要との意見が出始めてきた。私自身たまに外に出るのは自転車であちこちヨーグルトを探しに走るだけ。家ではテレビの前に座り詰めの生活で鬱々として楽しめない日が続き、此の儘では前向きに明日を求める元気が無くなってしまうと思い出した。

◆頭に浮かんだ犠牲者鎮魂の巡礼の山手線一周ウォーク

★何か楽なことではなくて自分を肉体的にも精神的にも追い込んでいくようなことをやりたい。出来ればこの大震災で亡くなった多くの方々の霊を慰める鎮魂の巡礼のようなものはないか。そこで、これならと考えたのは山手線一周ウオークである。これは前から一度はやりたいと考えていたことで、今年1月焼津アルプスに登った時に知り合った朝鮮通信使友情ウオークのグループの人達がトレーニングのためにやっていると聞いたからでもあった。

★勿論このグループにジョインして連れて行って貰えば間違いはないし楽に行けたかもしれないが、やはり、やるなら一人でかみ締める思いを込めて歩きたかった。少々間違いやロスがあったとしても自分で調べ準備して自分の選んだ道を歩いたほうが達成感もあるに違いないし、未知の距離なので自分のペースで歩きたくもあった。


山手線(内回り)一周の巡礼ウォーク

◆何故東京環状線ではなくて山手線なのか

★実施日は天気予報で間違いなく晴れ、桜の花も楽しめそうな4月7日(木)と決めて山手線のことを少し調べ
た。
先ずは何故東京環状線ではなくて山手線(正式名称は「やまのてせん」)なのかだが、元々品川から山手
方向に赤羽まで伸びていった路線で現在は品川-田端20.6kmが山手線、池袋-赤羽5.5kmは昭和47年に分
離、東海道本線品川-東京6.8km、東北本線東京-田端7.1km合計34.5kmが環状運転の距離である。


JR東日本・山手線路線図(緑線
wikipediaから転借

★環状運転は大正14年から始まったが現在の駅数は29駅、2分半〜4分間隔で平均64分(最速59分)外
回り、内回りで運転している。
山手線ウオークは、路線上を歩くわけには行かないので道の選び方にもよる
が、一般的には42km程度で所要時間は10時間位が目安とされている。


◆起点は高田馬場駅と決めた

★出発点を何処にするかは私の一人旅でもあり、最寄り駅の花小金井駅から西武新宿線で高田の馬場へ行
き、此処を起点に新宿、渋谷、品川、東京と内回りで歩くことにした。
今回は山を歩くのとは違って街中を歩く
ので、弁当も水も何時でも入手できるし雨具の心配もない、持ち物は地図と若干の行動食だけ、殆んど空身
で出発した。


★先ずこの気安さが失敗の元、花小金井で帽子を忘れてきたのに気付いた。午前中は薄曇だが日中は日が
指すというから何処かで買うしかない。
山手線を一周するポイントは当然29ある駅だから初めはそれぞれの
駅改札にタッチして歩こうかとも思ったが、主要道路から取り付け道路で結ばれていて引っ込んでいる駅も多
いので駅名をカメラに収めるだけでよい事にした。


[@7:02 高田馬場駅]
★高田の馬場駅で用を済ませ7時2分出発、新大久保を目指す。此処は初め一寸工事区間があるが、山手
線・西武線併走区間の見慣れた道で気は楽だ。


高田馬場駅(JR山手線・西武新宿線)

[A7:20 新大久保駅]
★7時20分新大久保、左手にロッテの工場、ハングルの看板の多い通りを抜けて7時36分新宿、此処で着て
いたフリースを脱いで高島屋、紀伊国屋書店を経て代々木へ向かう。

[B7:53代々木駅]〜[C8:16 原宿駅]
★7時53分代々木、此処は中央線との分岐なので気を付けねばならない。北参道口から明治神宮に入っても
よかったが、神宮の森を右手に見ながらなるべく線路に沿って歩き8時16分原宿駅の北側に取り付き、此処
で初めてアクエリアス500mlを買った。

原宿駅

[D8:35 渋谷駅]
★神宮橋を渡って外側に出て国立代々木競技場、岸記念体育館を右手にゆるい坂道をひたすら下ると、8時
35分渋谷、ハチ公の広場に到着。


渋谷駅 渋谷川両岸のサクラ

[E9:03 恵比寿駅駅]
★東急の下をくぐって内側に入り明治通りを歩く。渋谷橋を右折、橋から渋谷川両岸の桜は見事。9時03分
恵比寿駅、ガーデンプレイス、写真美術館の脇を通って南下、右上の高架を走る電車に山手線の印グリーン
ベルトがあるのを確認しながら歩く。


えびすガーデンプレイス 車両のグリーンベルトが山手線

[F9:25 目黒駅]〜[G9:43 五反田駅]
★9時25分目黒、花房山通りを歩いて国道1号線・桜田通りを越えた所が五反田になる。9時43分。高田馬
場からの距離は多分15kmくらいかと思われるので此処までは時速5km、一応快調のペースといって良かっ
たが、この辺りから足裏が熱をもってきた。
ソックスは五本指のアンダーと厚手のウールの二重履き、靴はクッ
ション性の良いウオーキングシューズ・ワールドマーチなので足回りの準備としてこれ以上はない筈だ。


★五反田から目黒川沿いに歩き始めたが足の脛(すね)が痛み出した。普通足が疲れてくると脹脛(ふくらは
ぎ)や腿に来るので、脛がというのは殆んど経験がない。
やはり硬いコンクリートの跳ね返り、体重の増加、最
近のトレーニング不足がそのせいなのだと思う。


[H9:58 大崎駅]
★目黒川の左岸から右岸に渡り大崎9時58分、両足の痛みが増し、攣るようになってきた。私は山でも上り
下りの急激な変化の際よく攣ることがあり、痛みが引くまで一寸立ち休みするだけで歩きながら治める術を心
得ているのでそんなに驚かないが、残念ながら大幅スピードダウンは止むを得ない。


★大崎からは山手通りを歩き、直進すれば毎年東京都の原爆慰霊祭が行われる東海寺の前から京急新馬場
に出るのだが、かなり遠回りになるので居木橋で山手通りを下りて御殿山に入る。
此処は江戸時代将軍が鷹
狩の際休息した品川御殿があった場所で、御殿山ヒルズの桜も又見事なもの、暫し足の痛みも忘れるほどで
あった。

御殿山ヒルズのサクラ

[I10:28 品川駅]
★新八ッ山橋で第一京浜に入り坂を下りきった所が品川、10時28分になっていた。第一京浜の道は長いし
単調、高輪、泉岳寺を過ぎても中々田町に着かない。


★品川の少し先に高輪大木戸跡というのがあって大きな石垣が残っている。これは東海道の江戸南口の検
問所で四谷の大木戸は現在何も残っていないので大木戸としては唯一の遺構である。
海寄りを行った方が
田町に近いかと右折したら札の辻橋、これは江戸市中にあった六大高札場の一つで後に大木戸に移されて
いる。


高輪大木戸の石垣

[J11:07 田町駅]
★橋の袂で腰を下ろし地図を見るとやはり駄目、元へ戻って御田八幡の前を過ぎ田町11時07分通過、山手
線の路線区間でもこの品川-田町は2.2kmと最も長く、この間に一駅作る計画もあるらしい、そうなると山手線
の駅数は切りの良い30になる。


★田町の直ぐ先、海寄りに田町薩摩邸跡があり、勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城の会談をした所とされ
ている。
金杉橋で都心環状線の下をくぐるが河口に近いらしく多くの屋形船が舫ってあった。

田町薩摩邸跡 舫われた屋形船(金杉橋付近)

[K11:36 浜松町駅]
★浜松町は第一京浜から少し離れているようなので世界貿易センタービルを目当てに枝道に分け入り11時
36分浜松町。足の痛みと疲れは可なりなものになってきて足が上がらない為一寸したギャップにも躓いてバ
ランスを失いそうになる。歩き出す前、12時東京着は軽いと思っていたが、この分では東京でリタイヤなんて
ことになるかもしれない。


[L11:56 新橋駅]〜[M12:15 有楽町駅]〜[N12:27 東京駅]
★第一京浜をそのまま歩いていたら高架になって線路の下を潜り汐留へきてしまったので慌てて左折し、やっ
と新橋へ着いたのが11時56分。コリドー通りを抜けて有楽町12時15分、東京駅八重洲南口は12時27分
の到着だった。
気温も高くなってきたし、とにかく少し休んで足と相談、この後どうするか決めねばならない。

★北口の大丸へ行って先ず帽子を買って何か食べようと思ったが余り食欲がない。冷たいコーヒーを飲んで
地図を眺めながら考えたが、初めから何処までやれるか自分を追い込んでみようと始めたことだし、この程度
で諦めるのは如何にも情けない。
のろのろ歩きで時間は掛かるだろうが、山と違って日が暮れても歩けないこ
とはない。
そう思ったらなんとなく足も云うことを聞いてくれそうな気がしてきた。

★買ったばかりのキャップをかぶって13時スタート。外堀通りで日本橋川、此処に花崗岩の立派な柱があり、
碑に「一石橋の親柱」とある。
その昔、橋の袂に幕府金座御用を預かる二人の後藤某が住んで居たので五斗
(ゴトー)と五斗(ゴトー)で一石とはしゃれたものだ。


[O13:17 神田駅]〜「P秋葉原駅を遠望しながら通過
★古風な石作りの日銀の前を通り、線路沿いに歩いて13時17分神田駅北口で中央通りに入る。これをこの
まま歩いていけば秋葉原に出るし、此処は中央線が左にカーヴして行くので、これに吊られてはいけないと充
分判っていた心算だった。
然るに私は須田町の交差点を斜め右方向に行かねばならないのに、真っ直ぐ行け
ば良いと思い込んで交通博物館の前を通り線路に沿って歩いてしまった。


★それでもなんとなくおかしい気がして左方を見ると、なんと緑色のニコライ堂の屋根らしきものが見えるでは
ないか。
山で道に迷ったら確かな所まで戻るのが鉄則であり、何時もその通りやってきた心算だった。疲れの
せいか魔が差したのか、なんとなく戻るのが嫌で其の儘歩き着いた駅は御茶ノ水だった。
遥か右後方に見え
る秋葉原石丸電気の広告が恨めしい。


お茶の水から秋葉原方面を望む

[Q13:45 御徒町]〜[R14:25 上野駅]
★13時45分、気を取り直して聖橋を渡り湯島天神から春日通の切通坂を下って14時11分御徒町駅。上野
公園の西郷さん、上野の森美術館から上野駅公園口14時25分、ロダンの考える人、地獄門のある西洋美
術館のベンチで休憩、アミノバイタルを飲んでエネルギー補給をする。


ロダン作「考える人」

[S14:37 上野駅]〜「(21)寛永寺霊園越しに鶯谷駅の方向を遠望しながら通過]
★14時37分出発、国立科学博物館から寛永寺輪王殿、東京国立博物館の外縁を左に回り、寛永寺厳有院
霊廟第一勅額門に出る。この門と桜の取り合わせは真に見事だ。
北側一帯は徳川家の墓地がある寛永寺霊
園になっていてこの向こうに鶯谷駅があるはずなのだが全く見えない。


寛永寺厳有院霊廟第一勅額門のサクラ

★わざわざ下りていくこともあるまいとそのまま進むと上野中学校にぶつかってしまった。左は芸大体育館、
通りかかった小母さんに日暮里への道を尋ねると、付いておいでと言って中学校と寛永寺の中を通り抜け、
谷中霊園の方角を教えてくれた。


★谷中霊園は徳川慶喜、渋沢栄一、横山大観、高橋お伝、長谷川一夫等の墓があり時間があればゆっくり
回ってみたいが今はそんな余裕はない。出来るだけ線路よりの道を歩いていたら行き止まりになってしまい
線路を越えて渡る歩道橋しかないので此処で霊園歩きを諦めた。


(22)15:07 日暮里駅]〜[(23)15:25 西日暮里駅]
★線路沿いに少し歩いて日暮里到着15時07分、常磐線踏み切りを渡り、京成線の高架を潜って左折した
所が西日暮里駅15時25分。路線長ではこの間が最も短く500mしかない。


日暮里駅

(24)15:42 田端駅]
★道灌山通りから開成高校、中学の脇を通って田端15時42分、山手線はこの先から京浜東北線と分かれて
大きく左旋回するので要注意だ。
田端高台通りを行き、富士見橋の手前を左折、此処を間違えないようにと念
を押されていた。


(25)16:02 駒込駅]
★駒込16時02分着、次の道を文京学院と文京学園体育館の間にとり、白山通りを右折して巣鴨16時22分
としたのが不幸の始まりだった。
巣鴨は山本家の墓地・染井霊園の最寄り駅であり、何度も足を運んでいる馴
染みの場所である。
次の大塚へは線路沿いを歩けばよいと判っていたのでそうしたのだが、何故か西友の裏
から歩き始めてしまった。


★この区間線路は道の下を走っているので上から電車を見下ろしながら歩く、ほぼ直線路なので彼方にJRの
駅舎が見えている。差し掛かった橋が染井橋、何故未だ染井かと思って駅をよく見ると、なんと駒込駅ではな
いか。完全に勘違いして逆走していた訳だ。
初めに駒込から線路沿いを歩いていればこんな馬鹿げた失敗は
なかった筈なのにと悔やんでも仕方がない。さすがに疲れがどっと出て立ち止まってしまった。


(26)16:52 巣鴨駅]
★こんな失敗をする自分が情けないし、考えたくもない年のせいが頭をよぎったりしたが、妙案がある訳はな
いのでひたすら線路沿いに再度巣鴨へ戻り16時52分、大塚駅を目指す。やけくそが歩速を速めたかこの間の
ロスは30分だった。


(27)17:06 大塚駅]
★大塚到着は17時06分、薄暮の頃になってしまったので、遅くなってもあと3駅、何とか頑張ってみると家内
に電話を入れて又歩き出す。
足の方も諦めてくれたのか、悪慣れしてしまった様で何とか動いて呉れている。

(28)17:45 池袋駅]
★春日通りの池袋六又陸橋を左折して西武パルコ側の池袋到着17時45分、明治通り千登世橋を右折して
目白通りへ、これも可なりな迂回路だが夜道となってしまっては判り易い道を歩くしかない。


(29)18:14 目白駅]
★既に外灯が点いている学習院大学正門の前を通って18時14分目白駅。交番で道を聞いたら簡単な地図
を呉れて親切に教えてくれた。
学習院大学は広い、再び塀に沿って南下したから大学の2辺を歩いたことにな
る。
教えられたとおりに歩けばよいものを、一寸山っ気を出して線路の崖下を歩いてみたらたちまち工事箇所
でストップ、それでも無理やり乗り越えようとしたがやはり駄目で戻るしかなかったが、こんなに草臥れていて
も何故かこんなことをやろうとする自分が可笑しかった。


学習院大学正門

[@18:36 高田馬場駅]
★新目白通りを横断して神田川を渡るとスタート地点で終点の高田の馬場駅に到着である。7時02分に出発
して18時36分到着したから所要時間は11時間34分、歩いた距離は多分45km位にはなっただろう。


高田馬場駅

★前半から足のダメージによるスピードダウン、後半は致命的な大失敗を二度もやってしまい全ての駅をカメ
ラに収めるという当初の目的も達成できず、決して良い出来のウオーキングではなかったが、最後まで一人で
諦めず歩き通せてそれなりの達成感を味わうことが出来たのは大いに幸せだった。


★家に帰ってよく頑張ってくれた愛しき足を確認したら右足の親指の付け根に大きな血豆が出来ていた。
                                              (2011年4月 山本浩 記)

                                    

♪BGM:Ripple[太陽]arranged by Ripple♪

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