いなほ随想
特   集

西国三十三観音巡礼記

滝沢公夫(30法)
文・写真



[第30番札所 宝厳寺]

宝巌寺の伽藍

琵琶湖の島にある 第三十番 [宝厳寺]
(山号)厳金山 (宗派)真言宗豊山派 (本尊)千手千眼観音
(所在地)滋賀県びわ町早崎1666
(巡礼歌)月も日も波間にうかぶ竹生島 船に宝をつむここちして

★宝厳寺は、琵琶湖の中の竹生島にあります。島への船の便は、大津、彦根、長浜、今津からありますが、私は観光も兼ねて長浜から行きました。二十五分ばかりの船旅です。島は周囲二キロ、一面老木に覆われ断崖が取り巻くため、船着場は一箇所だけとなっています。下船しますと、すぐみやげ物店が並び、その先に急な石段が待ち構えているのです。丁度ツアーの一団が到着し、添乗員が両手に朱印帳や掛け軸を抱えているのを見て、これは大変とばかり石段で追い越し、辛うじて一番乗りでご朱印を受けることができました。大いに息が切れました。

竹生島 船着き場

★本堂の弁財天は、宮島、江ノ島と並び日本三弁財天のひとつですが、三十三年に一度開扉されます。寺域には、唐門、観音堂、船廊下、五重石塔、宝物館等見るべきものが多く、次の船の時刻が気になりましたが,隣の国宝・都久夫須麻神社も覗いてみました。

観音堂唐門 弁財天堂

★この寺は、神亀元年(724)、行基菩薩がこの島に渡って、弁財天を安置したのが始まりといわれます。この時、現在の本尊・千手千眼観音を自刻したとのことですが、観音堂にあるこの像も秘仏になっています。

★伝教大師や弘法大師もこの島に来たことがあるそうです。その後火災で七堂伽藍を失っていますが、宝物館では多くの寺宝を拝観できます。本堂の隣りでは、三重塔再建のための工事が行われていました。平成十二年には完成したとのことですが、私は未だに確認に訪れておりません。それにしても、この狭い島の中に、よくもこれだけ多くの重要な建築物が密集しているものです。次第に遠ざかる島影を、帰りの船で感動深く眺めたのでした。




[第31番札所 長命寺]


長命寺本堂
wikipediaから転借

三重塔が素晴らしい 第三十一番[長命寺]
(山号)姨耶山 (宗派)天台宗 (本尊)千手十一面聖観音
(所在地)滋賀県近江八幡市長命寺町157
(巡礼歌)八千年や柳に長き命寺 運ぶ歩みのかざしなるらん

★近江八幡駅からバスに乗り、長命寺で下車します。すると、八百八段の坂が待ち構えているのです。急な石段をゆっくりと喘ぎながら登りますと、一時間ばかりで山上の寺域に着きます。

長い石段 長命寺の伽藍
wikipediaから転借

★ここは意外に広大な寺域です。正面に重文の本堂、左に三仏堂、そして右手に三重塔があります。三重塔は重文ですが、本当に均整の取れた美しいもので、しばらく見とれてしまいました。

三重塔

★長命寺はやや不便な立地にありますが、意外に賑っており、老人はもとより若者も多くみられます。この寺は、景行天皇のころ、武内宿禰がこの地に登り、長寿を祈願したといわれます。更に、聖徳太子が来山して、千手、十一面、聖観音を刻んで伽藍を建立したのが始まりといわれます。しかし、その後の兵火で悉く灰燼に帰し、現在の堂塔は大永から慶長年間(1521-1614)に再建されたものだそうです。

★ゆったりとした雰囲気の中で、十分山の空気と霊気を感じ取りながら、やがて長い石段を下り始めたのでした。




[第32番札所 観音正寺]


平成16年(2004)に再建された本堂
wikipediaから転借

難所のひとつ 第三十二番[観音正寺]
(山号)撒山 (宗派)天台宗 (本尊)千手千眼観音
(所在地)滋賀県安土町石寺2
(巡礼歌)あなたうと導きたまへ観音寺 遠き国より運ぶ歩みを


★観音正寺を訪ねるルートは色々ありますが、いずれもかなり過酷な道程で、難所のひとつといわれています。私は、能登川駅からバスで観音正寺前まで行き、ここから一時間ばかり急な坂道を登りました。どのルートでも荒々しい石段が特徴です。

観音正寺への参道

★やがて観音寺山の山頂近くの寺に着きました。本堂は平成五年の火災で全焼し、仮本堂が設置されていました。本堂再建のための募金も行われていました。その後、平成16年に本堂等は見事再建されましたが、私は未だに確認に行っておりません。

寺域入り口の石柱 筆者が参詣したときの仮本堂

★この寺は、聖徳太子がこの地で人魚の哀願を受け、千手観音を刻み、伽藍を建立したのが始まりといわれています。従って、本堂前には、銅像の観音像のほか人魚像もあります。当初、伽藍は少し山手にありましたが、何回か移転を繰り返し、明治時代に現在の場所に移転したもののようです。

★大変苦労して登って来た割には見るべきものが少なく、ややがっかりしましたが、これも修行のひとつとして、再び険しい山道を下って行ったのでした。ただ、住職の温かい対応には感動しました。




[第33番札所 華厳寺]


華厳寺満願堂
wikipediaから転借

結願の寺  第三十三番[華厳寺]
(山号)谷汲山 (宗派)天台宗 (本尊)十一面観音
(所在地)岐阜県谷汲村徳穂23
(巡礼歌)今までは親と頼みし笈摺を 脱て収むる美濃の谷汲
世を照らす仏の験しありければ まだ灯火も消えぬなりけり

★いよいよ打ち止めの華厳寺です。交通の方法は色々ありますが、私は大垣からのんびりした樽見鉄道に乗車して、谷汲口駅で下車しました。ここからバスです。多くのみやげ物店の並ぶ門前町を通り過ぎますと、正面に巨大な仁王門が現れます。この門は、宝暦年間(1751)の再建で、仁王像は運慶の作といわれます。門を入りますと、石灯や奉納旗がずらりと並び、参詣者の数は多いです。参道を進みますと老木も増え、諸堂も見えてきて森厳な雰囲気となってきます。

仁王門 参道

★正面の本堂は明治年間の再建ですが、本尊は、延暦十七年(798)に大口大領と沙門豊然によって造像されたものといいます。大口大領は会津の人ですが、観音像の造立を念じて、京都の仏師に刻ませて会津に戻る途中、この地で像が動かなくなったため、この地で豊然を開山として安置したのが始まりといわれます。この時、堂宇近くから油が湧き出たため、醍醐天皇は谷汲山の山号と華厳寺の扁額を下賜、のち勅願寺となりました。

★本堂には前立の観音像が安置されていますが、合掌していますと、これまでの苦しさ、楽しさ等が思い出されて、結願の感動で胸が一杯になりました。左手の笈摺堂には、菅笠や杖がうず高く積まれ、千羽鶴、絵馬等の奉納もあります。巡礼者の苦労と感動が詰まっているように思いました。

笈摺堂 「精進落としの鯉」
wikipediaから転借 wikipediaから転借

★そして、本堂の太い柱の精進落としの鯉に触れて、清々しい気持ちで俗界に戻ったのです。この喜びは、なんとも表現の仕様がないものでした。





[おわりに]

★西国三十三観音巡礼を志してから、二回ずつ回り終えるのに十年余りを要しました。この間、寒暑風雨等あらゆる気候を経験し、苦しいことも多かったです。しかし、旅で出会った多くの人々との心の触れ合いや僧侶の話等、心から感動した経験も極めて多くありました。

★また、美しい自然の風物にふれて心が豊かになった感覚もあり、更には、俳句や写真等の趣味の題材を得る等の収穫も大変大きかったと思っています。

★総じて、巡礼は私の人生に大きな役割を果たしたものといえましょう。現在では、余生からみて再び巡ることは困難ですが、祈りの気持ちを終生持ち続け、前向きに生きて行きたいと思っております



♪BGM:Chopin[Nocturne20]arranged by Reinmusik♪
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